何のために、誰のために?
ポンコツ爺さんの呟き(その壱)
私たちは 生きて、暮らして、働いて
そして 死んでゆくのか?

( 樹液に集まる虫たち[その2]7/18 )
コロナ禍の中
東京オリンピックが決行され
賛否両論あったが
東京2020五輪は
各競技場で
国内外の選手(アスリート)たちが
さまざまなドラマを紡ぎ出した
そして
その結果や過程に
多くの人たちが喜び
感動し やる気や勇気
生きる希望を貰ったことだろう
あるいは
コロナ禍のため練習がままならず
また延期されたことで
コンディションがズレたり
いろんな不安な要件が絡んで
実力が発揮されずに
残念な結果に終わった選手もいる
しかし その選手の多くは
そのつまづきや不運などから
立ち上がり そのことを糧として
また次の目標に向かってゆくだろう
私たちは その選手の姿に
また違った共感を覚え
学びの感情も湧いて来たり
励ましの気持ちも出てくると思う
それぞれの選手は
私が思うところ
ほとんどの人が 自分自身のために
各競技に取り組んできたと思う
そして
オリンピックに参加するまでに
様々な人たちの支援を受けて来ただろう
(監督、仲間、上司、職場、上司、
友人知人、そして 家族‥)
それでも
ある外国のように
昔の話のように
国のためとかは
直接考えないのではないか
普通 自分が まず今
精一杯にできるところで
力やパフォーマンスを発揮し
記録を刻み 輝くことで
支えてくれる人へのお返しが
できるのだし 感動や共感も
与えることができるのではないか
だいたい
世界のスポーツ祭典なのだし
平和を希求して開催されるのだし
近年は 選手や監督、コーチなどの
国を跨いでの行き来は盛んである
だから アスリートたちは
互いに 結構よく知っているし
選手によっては よきライバルであるし
かつ友人でもある
ソフトボールの上野由岐子選手は
アメリカのアボット選手と
13年以上前からの知り合いのようだし
2011年の東日本大震災の時は
アボットさんは
わざわざ東北の被災地を訪れ
確かしばらく滞在したそうだ
だから 〇〇国が!とか
〇〇民族が!とか 狭い了見だけで
応援していると 国際感覚から
オリンピックの精神から
いつのまにかかけ離れてしまい
世界の流れから
取り残されてしまうかもしれない
ps 2021.8.17 草稿 8.26 推敲
8月25日 パラリンピックで
車いすラグビーの予選があった
日本チームは フランスチームに
53:51 という大接戦、大逆転で
世界ランキング6位のフランスに
みごと勝利した
前半 1、2点をずっと先行して
観戦しながらハラハラして
もしかするとフランスチームが
そのまま逃げ切るのではないかと
思ってしまった
また 試合中 何度も
ガシーン!とぶつかり合うシーンが
あって これもハラハラした
パラリンピックで
唯一の格闘技だそうだが
身体は大丈夫かなと心配してしまう😅
オリンピック女子ソフトボールのこと
( ネット記事から 2021.8 )
モニカ・アボット選手の話
「チームを誇りに思う」 ソフトボール米国・アボット - 産経ニュース