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震災後も生きる〜2017.8.12 熊本地震の被災後に記す

2024年02月03日 11時53分00秒 | Weblog

震災後も 生きる〜2017.8.12に記す


(庭の梅2024(令和6)2.3節分の日)

あの熊本地震の本震で

真っ暗な屋内からうっすらと明るい屋外に私らは 命からがら逃げ出した

2016年4月14日 午後9時26分

本震とも思う前震が我が家も襲う

2016年4月16日 午前1時25分

前震の緊張と興奮から 余震の備えをしてやっと寝入ったところに

あの激しい本震が再び私らを襲った!

余震は油断できないが

この(前震の)揺れ以上のものは

来ないだろうと油断をしていた

が しかし

家が壊れそうな凄まじい音と

周囲の世界が潰れそうな奇妙な音と

暗い中 歩くのも難儀で 立っていることさえフラフラで 私らは とにかく外に出ようと考えたが 直ぐそこの玄関に

中々辿り着けない!

逃げる途中の廊下で もしかすると私らは ニュースであったようにこんな風にして死ぬのかも知れないと ふと思った

そして その後「いいや 私はどげんかして死ぬまでは生きるぞ生きてやるぞ」と思った

死ぬ直前までは誰でも確かに生きているのだから 大変な事態の中でそんな奇妙なことを考えていた

やがて8月15日がまたやって来る

私の母方の伯父は あの太平洋戦争で

中国南方にて戦死した

まだ二十代前半だったけれど 骨の一本も帰って来ていない

伯父は 亡くなる直前はどんな様子だったのだろうと時々考える

被災した私らのように 死ぬまでは 命果てるまでは生きてやるぞ 生き抜いてやるぞ 国で待っているだろう両親や

妹や友達、恩師のためにも生きて九州に帰るのだ などと考えていたのだろうか

模範生であった伯父は 当時の市長さんの推薦と見送りで戦地に向かって行ったという また 見送りの彼女(?)からの手紙は受け取らずに出征したとの話も この耳に残っている

そんな戦争真っ只中にいた伯父は

遠い異国の戦地で 毎日どんな思いで生活していたのだろうか

ps ①2017.8.12 草稿 8.14 追記

 2024(令和6)年1月1日に能登半島地震が

発生した 半島や地域性ゆえに 熊本地震とはまた違った悲惨な様相を現していて とても痛ましいし 何とかならないものかと 心配をし 余震による二次被害や被災後の体調悪化などを危惧もしている 

 一日も早く普段の日常生活が取り戻せますようにと 熊本の地から心より祈念しています

ps ② 人はこの世に誕生して現代まで

有史前から殆ど途切れることなく争い

かつ侵略しあい そして 互いに戦い 

領土や物資や人を奪い合い

膨大な血を流し 数限りない人命を奪い合って来た

そうして自国民・自民族最優先の歴史を刻んで来たのではないだろうか

紛争や戦争で どこかの国や民族が 100パーセント正しくて どこかの国や民族が 100パーセント正しくないなんてことがあるのだろうか

 理想論かも知れないけれど お互いが知恵を絞り なるだけ決定的な対決を避ける手立てはないものかと考える

お互いにかけがえのない命を与えられ やり直し(リセット)の効かない人生を歩む身である  それらの大切なものが 乱されることなく平穏な世の中になればと願う  もしかすると 人によっては そんな世の中は退屈で 物足りないと思ってしまう?かもしれないが‥

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