いつもの“写美” 東京都写真美術館(TOP MUSEUM)へ・・・。

篠山紀信 「新・晴れた日」
写真は死んで行く時の記録。嵐の日も雨の日も 僕が撮る写真は、いつも晴れた日

1960年代から活躍している篠山紀信氏の時代背景、世相、「写真」というものを時代を追ってアピールしてきたかを時系列に展示披露した写真展です。

入場の際には篠山紀信氏が直接監修した、1枚1枚の展示写真ごとの解説がされた解説パンフが配布されます。
展示室内の写真をただ鑑賞するだけでなく、この貴重な解説パンフを1つ1つの作品を前に見ながら鑑賞を深めるようなスタイルです。
ただ茫然と1枚の写真を見るだけでなく、写真を撮った作家が目の前の写真に解説文を添えているので、奥深い鑑賞となり充実感をおぼえるくらいです。
無言の写真が訴えるもの・・・鑑賞する側が大いに想像とインスピレーションを高めるのも鑑賞としてはいいのですが、その理解を助けてくれる写真家の一言があるとさらに深まりますからね。
写真家、篠山紀信氏の「写真に対する愛情」と「多くのみなさんに見てもらいたい」という願いが、このようなとても貴重なパンフとしてできたのではないかと思います。
写真展はさまざまな被写体とそこにあるメッセージをいかに訴えるか・・・とても興味があり事あるごとに様々な場所に出向くのですが、そのなかでも今回の「新・晴れた日 篠山紀信」は、なかなかの充実感を得る展示会となりました。





篠山紀信 「新・晴れた日」
写真は死んで行く時の記録。嵐の日も雨の日も 僕が撮る写真は、いつも晴れた日


1960年代から活躍している篠山紀信氏の時代背景、世相、「写真」というものを時代を追ってアピールしてきたかを時系列に展示披露した写真展です。


入場の際には篠山紀信氏が直接監修した、1枚1枚の展示写真ごとの解説がされた解説パンフが配布されます。
展示室内の写真をただ鑑賞するだけでなく、この貴重な解説パンフを1つ1つの作品を前に見ながら鑑賞を深めるようなスタイルです。




ただ茫然と1枚の写真を見るだけでなく、写真を撮った作家が目の前の写真に解説文を添えているので、奥深い鑑賞となり充実感をおぼえるくらいです。
無言の写真が訴えるもの・・・鑑賞する側が大いに想像とインスピレーションを高めるのも鑑賞としてはいいのですが、その理解を助けてくれる写真家の一言があるとさらに深まりますからね。
写真家、篠山紀信氏の「写真に対する愛情」と「多くのみなさんに見てもらいたい」という願いが、このようなとても貴重なパンフとしてできたのではないかと思います。
写真展はさまざまな被写体とそこにあるメッセージをいかに訴えるか・・・とても興味があり事あるごとに様々な場所に出向くのですが、そのなかでも今回の「新・晴れた日 篠山紀信」は、なかなかの充実感を得る展示会となりました。