
今日ある事で「わたなべ」と名前を書くことに・・・
「渡邊」
この字は知っているけれど、じっさい書くとなると書きなれていないせいか、ごにゃごにゃ・・・とごまかっしちゃうような「書きなれない字」
でも今度ばかりは“人様の名前”ですから、“ごにょごにょ”をごまかしては書けず、字のバランスが悪くかっこ悪いんだけど、なんとか読める時に・・・。
「わたなべ」の「なべ」だけでも代表的なものが「渡辺」「渡部」「渡邊」「渡邉」なんてものがあって、いずれもこの字には歴史的で由緒あるものかどうかわかりませんが
なにか意味のあるものでこのような「字」になったんだろうなぁ・・・と推測
今はキーボードやタッチで「わ・た・な・べ」と入力すれば、どういう字を書くかはわからなくてもスルーできちゃうでしょ、
だから“あえて”字・字体をおぼえる必要がなく(うる憶えのカタチぐらいかな)いざ書けなくてもすむわけです。
でも、それがアタマの教養としての「漢字離れ」に繋がっている元凶だと思うのです。
その字をいざ「書け・・・」といわれても、ごにょごにょしちゃって書けないもんね・・・(もちろんそのお名前の当事者さんは書けるでしょうけど)
やはり普段から(キーボードとかあっても)自分のアタマと手で「字を書く」「漢字を書く」ということをしておかないと、どんどんと「漢字の文化」「字の文化」は衰退しちゃうと思うのです
自分のアタマで手で指で字(漢字)を書くということは、人の持ちうる才能を常に活性化して、さらなる上へのステップへと導いてくれると思います。
デジタルに(キーボード・タッチ)頼っていたらどんどんアタマは衰退するばかりです、ふだんから自発的に「字を書く」「漢字を書く」事を意識しないと・・・
今回わたなべ(渡邊)のごにょごにょをいざ書くという事から、ちょっと「字」に対するアタマの危機感を憶えることになりました。
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