観・環・感

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大徳寺

2015年06月16日 | 旅・風景・グルメ

禅宗の一派で栄西を祖とする臨済宗大徳寺派の大本山である大徳寺の山内図
ところで、大本山、総本山と称する寺が一番多いのは、真言宗の18で、臨済宗はそれに次いで14である。
大徳寺は、倉時代末期の1315年に大燈国師宗峰妙超禅師が開創。応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興。豊臣秀吉が織田信長の葬儀を
営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた寺である。
江戸時代の初め幕府の統制を受け、元住持の高僧・沢庵宗彭が紫衣事件で流罪の圧迫を受けた。しかし、三代将軍家光が沢庵に帰依したこともあり、
寺運は栄え今日に至っている。
大徳寺は別院2、塔頭22を有する寺であるが、そのほとんどの塔頭では一般参詣を認めていない。常時拝観可能な塔頭は龍源院・瑞峰院・大仙院・
高桐院の4か院である。


常時拝観可能な大仙院(バスツアーの時間の関係で拝観する時間はなかった。)


大徳寺山門(拝観できない)
この山門の2階部分は、千利休によって増築された。そこに雪駄履きの利休の像を安置したことから、その門を潜る立場の秀吉の怒りをかい、
利休の切腹の一因となったと言う説は有名。


芳春院


三玄院
右の門柱に三玄院、、左の門柱に拝観謝絶の文字が
三玄院は、1589年に浅野幸長(長政の長男)、石田光成、森忠政(蘭丸の弟)によって春屋宗園を開祖として創建。小堀遠州、古田織部、長谷川等伯もここで修行している。
石田三成、森忠政、古田織部等の墓所で有名。