7月のミステリーツアー(バス旅行)の写真の整理がようやく出来た。見学コースのラストの関宿は、東海道47番目の宿場町。
東追分(木崎)から西追分(新所)まで、約1.8km範囲が関宿。東の追分からは伊勢別街道へ、西の追分からは大和街道が
分岐していたこともあり、参勤交代や伊勢参りの人々などで大変にぎわいがあったそうだ。
ここは、壬申の乱の頃に古代三関の一つ「鈴鹿関」が置かれていたところで、「関」の名もこの「鈴鹿関」に由来している。
また、関宿は、古代から交通の要衝で、現在、旧東海道の宿場町のほとんどが昔の姿をとどめていない中、江戸から明治にかけて
建てられた古い町家が200件余り残っている。国の重要伝統的建造物群保存地区(昭和59年選定)や日本の道百選(昭和61年選定)
にも選定されている。
高札場
高札場の建設、付け替えなどは亀山藩が行っていた。「東海道宿村大概帳」によると、関宿高札場には8枚の高札が掲げられており、その内容は、
生活にかかわる様々な規範、キリシタン禁令や徒党・強訴などの禁止といった幕府の禁令、隣接宿場までの人馬駄賃の規定などであったようだ。
豪華な山車のレプリカ
「そこまでが精いっぱい」という意味で使われる「関の山」という言葉は、夏に行われる関神社の祭礼で町内を練り歩く山車が語源と言われている。
絢爛豪華な山車が町内の街道いっぱいにふさぎ、これ以上通るに通れない様子を表現し、この言葉が生まれたとのこと。また、山車がとても豪華で、
これ以上の贅沢は出来ないということからきたという説もある。
おまけのツバメ
後ろの看板に時代を感じる。