川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

花は咲いたか・・・青葉テイ子

2008年01月13日 | 川柳
              現代川柳『泥』終刊号

 現代が醸し出すスピードと砂漠化は大切な心を奪った文化という利便性さに慣らされた現代人が要求するものはもはや、上辺だけの通りいっぺんのものではなく、人間の不可解な心模様・・・その心象風景にこそ、川柳の真髄が希求されているように思えてならぬ。

 人間の普遍のテーマである、詩的美しさへの期待は、未来永劫不変のものであろう。

 21世紀という次代を乗り越えて、子孫に語り継ぎたい川柳は、俗から抜けて、詩的昇華にほかならない。

 各々が、己が信じる川柳以外を拒否するとしたら、川柳人として大いなる損失である。

 節操のない言葉、文章にあうたび、私は川柳に失望してきた。なのに、なぜに川柳を続けているのか。

           答えはひとつ。人間が好きだから・・・。

                 川柳人よ

       企業川柳を軽んじてはならぬ
           平明な川柳に甘んじてはならぬ
               そして、現代川柳を揶揄してはならぬ

   全宇宙の中で川柳、残り得る川柳は、総ての拘りを捨て共存しか外にない。

         空のたかみに燃えさかる星になれたか
         空のきわみに玲瓏と冴え渡る星をめざして
         空のいただきにまたたく不滅の星をめざして

    星空を見上げて自問する。この道は崇高で気の遠くなるほどに遠い。

 またたく星に畏敬の念と、泥に拘わった歳月の重みと充足感は、細胞の節々まで沁み渡っている。

 小誌『泥』を飾って下さった異ジャンルの方々。(書家、作家、詩人、川柳作家の方々の氏名が並ぶ・・割愛させていただきます。)

    最後に夭逝の作家、伊藤紀子氏のご冥福を祈って。
                いま、微風に身を委ねながら・・・。   合掌



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花は咲いたか・・・青葉テイ子

2008年01月12日 | 川柳
            現代川柳『泥』終刊号

 伝統川柳、現代川柳、そして一般大衆を包容しての企業川柳、この川柳の多様化は、今、川柳界に生きる私達に何かを示唆しているように思えてならぬ。

 平明で、思いが深く読み手に一目瞭然の川柳、よくぞ言ってくれた、と万人が膝を叩く小気味よい川柳、日常という小宇宙の中で繰り広げられる人間模様の多彩さに目をとめて詠う、具象川柳五七五は、川柳の王道かも知れぬ、と、真底おもう。

 意とする事が難しくて、さっぱり解らない、と、一括りにされる私の川柳。解る川柳と解らない川柳、まるで、抽象画を観るように、解らないけれど何か魅力のある川柳、言語が引き出す無限の世界は、あらゆるイメージを駆りたてる。

 現代川柳、一行詩としての美しさ、叙情に裏打ちされた作品こそ、文芸として昇華し得るものだろう。メタファーを効果的に配して一句を成す心象風景は、読み手のイメージを更に四次元の世界へと誘う。ただし、それは読み手の資質と感性のいかんにも左右され得る。

          十人の読者が、全く別な解釈もまた成り立つ

       現代川柳の奏でる炎(ほむら)は美しく・・そして哀しい。

                            続く・・・・。
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花は咲いたか・・・青葉テイ子

2008年01月11日 | 川柳
              現代川柳『泥』終刊号

 凛と立つ泥樹がいっぽん

     いかなる木といえども 空のたかみに燃えさかる星をめざして
     いかなる木といえども 空のきわみに冷朧と冴えわたる星をめざして
     いかなる木といえども 空のいただきにまたたく不滅の星をめざして

                             「泥樹」より
      敬虔な祈りにも似て佇む。              原子 修
 
 雲ひとつない群青、長いようで短かった三年の歳月は、わが心臓の鼓動打つ音にも似てはやい。

 川柳の芒洋とした失望と不安、そして、やるせないほどの川柳への希求は、バイオリズムの波のように繰り返し、私を苛んだ。

 目に入り得る川柳誌、夥しい産まれたての川柳たち、柳論のどれもが飽かず繰り返される空論のように虚しく私を襲う。

 何を読んでも、書いても糠に打つ釘のように手応えがない現実。夥しく量産される歪なわが句たち。

何処へ流されてゆこうとしているのか。

           この疑問が、いつ頃から起きたのだろうか

 これでいいのか川柳、川柳の真髄をもっと語りたい、探りたい。川柳のビジョンは・・・いま、川柳を生きるものの一人として成すべきは何。芒とした不安がよぎる。

 この多様化された現代にあって黙して流されていっていいのだろうか。もう一人の私が耳元で囁く。

 夏の陽盛り、短い命を惜しむかのように、終日啼いていた蝉。お釈迦様の瞬きに過ぎないという人間のいのちの重さ軽さ。ことの起こりは、そこから始まった。

          誰か、この歪なわが子を叱咤してはくれないものか。

「泥」から這いのぼるいっぽんの狼煙。

 同じ志を持つ仲間と出合えたのは僥倖か。多くの言葉を弄せずとも通じ合う不思議さ、心奥で疼くものが、どこかで共通していた。

 そして、「泥」は産声をあげた。

「泥」を媒体にして出合うた人々、有形無形の甘口辛口にまみれた。辛口は川柳の応援歌だ。ありがたく拝聴して貪欲にも己れ自身の血や肉にしてきた。


                        続く・・・・。
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『狼煙はどこまで届くか』かなまる よしあき

2008年01月10日 | 川柳
              現代川柳『泥』終刊号

 時はあたかも21世紀しょっぱなの、平和憲法放棄、国家経済破産の道をずり落ち続け、「昔陸軍今は官僚、ヤクザの支配」などというフレーズさえ流れ、放漫過剰な消費生活に漂流して未来への希望さえなくしている庶民の現況は、表現者に大きく迂回するゆとりなど殆ど許されてなどいないのだ。

 およそ百年前、すでに巨才剣花坊は「日は西に 月はまだ出ぬ世紀末」と絶唱しているが、ここで『現代川柳』の<現代>という単語の持つ呪文的レトリックをひとまずはがして、大胆な再規定を試みることも意味があるのではなかろうか。

 文学にたよる結びつきは擢歌(かがい)以後連綿と続いているけれど、近世の<座>に到ると仲間同士の心地よい<場>として趣向の摺り合わせで成り立ち、連帯は排他を併存させ、いわば仲良し組だけになる閉塞性は長い目で見ると必ず尻つぼみの結末に到る。

 絶対少数の三人で出発した<泥>が拡散と風化を避け、あえて三年と期間を定めたのは
正か否か、全ては夫々の個性のこれからにかかっているけれど、選択した川柳というジャンルが、たった十七文字に限られた空間だからこそ、拡大する可能性も限りなく大きいし、逆に単純倭少化もすこぶる手易いことにもなる。
 
 終わりに他者の無責任な放言になることを怖れず直言すると、創刊号にほとばしった尖鋭的少数者のみが持つレーザー光の鮮やかな交錯が、号を重ねるにつれ、シンパ層の発言を含め、馴染み合いを濃くしているという印象が、じわじわ浮いて来たのも実感として残っている。

                  2007・11・13 没  合掌
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『狼煙はどこまで届くのか』かなまる よしあき

2008年01月09日 | 川柳
              現代川柳『泥』終刊号

 表現者にとってごく少数者だという自己確認は求めて選んだ立場だとしても、それは絶えて白昼の大道ではあり得ず貧困や危険さえ伴いがちな辺境を辿ることににもなり、更に極限近くまで細分化された社会総体の仕組みにほんの瞬間露出する裂け目に鏨を打ち込み、極限の人間存在に対峙しようとする営みは、創造主体としての個々の選別を重ね、ミクロ集団による凭れ合いに嵌まり易いという側面も足腰にかかることになる。

 これは虚仮脅しなどではない教訓遺産として意識の中に据えた方が良いだろうと思うことしきりなのだ。

 また、日常十重二十重に錯綜する対称のどこに狙いを定めるかが、表現者が全能でない以上、常時切っ先にかぶさっているのだから、うかうか耳ざわりの良い俗性論にひっかっかると、なし崩しの情緒に解消してしまう例には事欠かないだろう。

 結社、『泥』に戻すと、地勢上三人の拠点、函館ー室蘭ー苫小牧を結ぶ曲線が、いみじくも北海道史のそもそもの流通経路とぴたりと重なるのは単に偶然なのだろうか。

 とくに室蘭ー苫小牧ーの孤をそのまま延ばして縦断山脈を跨ぐと道央の真芯大雪に達し、またほぼ直角に北折するなら200万人が蝟集する道都に直通する。

 つまり川柳のスナイパー(狙撃兵)と私が名づけたい三人の戦略配置は仲々のものである。

                            続く・・・。
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『狼煙はどこまで届くか』かなまるよしあき

2008年01月07日 | 川柳
              現代川柳『泥』終刊号

 およそ半世紀余りも経つ戦後ロマンチック左翼の残影を、未だに性懲りもなく引き摺っているわたしは、一寸した意見を述べようとする場合でもすぐ肘を張る「へき」があるのだが、まず始めに一呼吸して、『泥』五冊を並べると、誌名にかぶせた『現代川柳』というサブタイトルに気をとられた。

 通常時代区分に何気なく使われがちな<現代>という単語は、こと文学史の中では各ジャンルの時間と表現形式の指向を分類する。

 <現代詩>とか、<現代俳句>のように、とりわけ旧来の定形や韻律、更に風雅ーわびさびに代表される伝統枠から」の批判脱却を意味することが多いようで、当然体制保守層から難解とか独善、またはいたずらに前衛ぶってなどのレッテルが貼られがちだという思いが浮かんだからであった。

 つまり孤立ー先細りという辛い記憶が根深く残っていて、少なくともそうならせてはなるまいと考えるのがだが、はたしてそういう姿勢はまったく正しいのだろうか。

 もともと人間社会の本質を活写しようとした川柳本来の喜怒哀楽の持つ健康なエネルギーが、明治・大正・昭和と移る時流に筋骨が抜かれ、花見遊山や祭礼のぼんぼりや短冊飾りで庶民にわずか披見されるだけの、くすぐり、駄洒落に堕ちてしまったという、戦後の深刻な反省が先ずあって、片方で「第二芸術論」という伝統端子系に、川柳界一般の現況は気が効いたとされる訳知り顔の、それこそ、<月並み亜流>がまたしてもはびこっているというのが、常々私の印象でこれを容易には拭い取れないのだ。

 <現代>とはもともと第一次世界大戦(19014~18)語の年代を指し、日本では一般に太平洋戦争以後を意味するという。先の指向の根本を探ると、夫々がたずさわっている文学ジャンルの社会的土壌へのひろがりように、多分のあせりを含めた不安定なコンプレックスも作用していたこともあったのではないかと思いつく。

 表現の<尖端あるいは前衛>とは文学世界の構造全体、つまり<中衛ー後衛>を含む日本社会の文化許容量に対する牽引者の優越意識なしには生まれない、その裏返しでもあり、いくらか視点を高めたなら前向きにひたすら未知を切り拓こうとするヒューマンな試みを究極まで評価すべきは明らかである。

 但し己を先駆者と位置づける余り、多少の逸脱でも許されるだろうと全能の神を擬した過去の至上主義者の撞着は断固ノーだと断罪することも当然なのに、それさえよしとする自大野郎が、まだ一部残っているのもまた事実である。

                           続く・・・・。
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小樽商人の気骨・魂・故藤橋茂。 E

2008年01月07日 | 川柳

             今日から、仕事始めです。

 仕事始めと言えば、初めて小樽でOLになった時に、生涯忘れられない商人、「故藤橋茂氏」にどうしてもぶつかってしまう。私の仕事の原点の人ということになります。

 小樽旧拓殖銀行時代に、「小林多喜二」と盟友で、文学活動も、仕事も、1927年6月の労働争議の若手中心的リーダー3人の中のひとりであったと、退社後しばらくして知ることとなる。

 生涯を通じて、多喜二との書簡を墓穴まで持って行って、世には出さなかったと窺っている。どれくらいすごい商人か少し書いてみたい。私は、今でもこの人を超える商人はいないと自負している。

①昼食は、戦争時代に使ったハンゴに「鮭一切れ・たくあん二切れ」外食や、接待以外の昼食は別に、老衰で亡くなるまでこのスタイルを貫いたという。

②紙切れ一枚のメモ用紙を私が、くずかごに捨てたら、それを見られて・・「これはいくらか?わかるか?」と聞かれたことがある。女性には直接話すことのない専務でしたが「50銭もするんだぞー!!」と19歳の私は、足の裏から地割れがするのじゃないかと思うほど、沢山の社員の前で叱られました。そして、2階の事務所でみんなに教えるように「これはなー・・これはなー・・50銭もするんだぞ!!!お前は会社の資産を捨てるのかあ!!」と死ぬほど一喝されました。(原価意識と、資産を教えられました、骨身に沁みて)

③営業マンの大学出身者には、会社の役職の道を、高校出身の市内ルートセールスには、全道各地のお得意さんから、商店の「婿養子」を頼まれ、「お前は、ここにいても出世はあまり望めんぞ・・○○商店ならそこの名士だ・・考えてみないか?」と言って、婿養子になったところと、太いパイプで結ばれる。

④今でも忘れられないのは、中堅の営業マンが、大手メーカーの手形を、一日延ばして欲しいと先方から頼まれ「本人決済」をして、2000万(今で言ったら2億でしょうか)専務に報告した時のことです。本人は有名メーカーですし、一日だと思ったのでしょう。
「ちょっと座りたまえ・・後ろを向きたまえ」とその営業マンを後ろ向きに座らせて、座禅の時に、肩を叩くようにそろばんで2度「ビシッ!ビシッ!」とすごい力で叩いたのです。周りはみんな、息を呑むばかり。顔面蒼白になったA氏に「俺に叩かれたと思ったら腹が立つだろう!!一日手形を延ばされたと言うことは、お前に信用がないからそうされたんだ!!お前が商人ならそろばんに叩かれたと思え!!」・・・専務がいなくなってから、泣きたいくらいびっくりした私が、「専務ってあそこまでしなくていいのにねー」ってA氏にこっそり告げたら・・「何言ってるんだ!!悪いのは俺なんだ!!」と逆に怒鳴られてしまいました。(この、信頼関係のすごさを思い知った訳です)

⑤市内のルートセールスで、お調子者で、大学は出ていても、要領のいいN氏が、今月一番の売り上げをした時です。
「ちょっと・・ちょっと・・N君・・。今月は一番おめでとう!!」でも専務の顔は、そのいい加減さを見抜いて、「まさか・・君の売り上げ一番は・・お客さまを・泣かせて立てた売り上げじゃないだろうなあ・・」と、目も、口も彼を、睨み付けているのです。
N氏はかなり動揺していました。(見抜いていたのですね・・押し付け営業を)

エピソードはつきません。小樽に「藤橋あり」と、日本中の、各メーカーから一目置かれた、商人道を貫いた人です。「何故、自分にもあれほど厳しく生きたのか?」と、自分の分身を育てたS氏に(後の専務)尋ねたら・・多喜二の分まで生きたんだろうよ・・と答えてくれました。その会社は、S氏在社の10年前は200億円の売り上げがありましたが、S氏が定年後会社は大幅に縮小しました。(主力商品に特化させたのです)

小樽の商人の歴史は、船場・近江商人の歴史です。1円2円50銭・何毛とそろばんをはじいて商談をしていたことが思い出されます。

今は、自分自身・・のんべんだらりと、故藤橋氏に墓穴から怒鳴られそうですが、今年は
このようなたくさんの教えを、思い出し、会社の独楽の芯になって、半分仕事人・半分川柳人になって日々楽しんで行きましょう。(大変な時代こそ、笑って超えることが、大事だと常々感じています。)

 窓際から、日本の美しい四季の移ろいも感じながら、本物の雪も見ながら、いろいろな潮流と、原点を見つめ・・気負うことなくスタートです。


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ホワイトハウスに「兄弟船」をプレゼント。 E

2008年01月06日 | 川柳

   お正月休みがたっぷりとれて、ブログもたっぷり書き込んでいます。

       昨晩は、道南の森町へ遊びに行って参りました。

 森の漁師さんが経営してる、新鮮海の幸をめまいがするくらい,ご馳走になって来ました。

 捕ってきたばかりの、うにの山。天然ホタテ,キンキのから揚げ、地場で捕れたものは、地場で食べるのが一番UMAIです。

 とっても頭のいい漁師さんなので、いろいろ学ぶことばかり。会話が楽しくて、思わず私も漁場の男になったようで会話の弾むこと。最近は、一次産業に従事している現場のお話に興味があって実学になっております。

 そこに、有名商社や企業の役員の方が釣りにいらして、船に乗せたりするそうで、その釣り人の名前を聞いて驚くばかり。(日本の著名な経済人です。)

 特にびっくりしたのは,9000万円の船を買って3年で返済したという。今は一億3000万円の船に乗っているのです。

「どうして・・そんなに早く返済できるの?」と窺ったら、「だって、すけそう鱈が捕れたときは、3日で水揚げが1000万になったこともあったからねえー。今じゃそんなことはないよ!」

 なまこも、高く売れるようですし、うにもほたても、あらゆる許可書をいただき、漁業権は毎年書き換えがあるそうです。一万いくらかの収入印紙を支払って。

 鳥羽一郎の「兄弟船」をリクエストしたら、「歌えない」ときました。「それじゃあ・・漁師のもぐりでしょう!」と言ったら、「いつも海でもぐってるから・・いいさ」って。

 お嬢さんが、有名商社の本社で受付嬢を6年勤めたというのですから、船主さんの人脈信用もすごいなー・・と感心しました。

      海は、人間を大きくするとは、よく言ったものです。
        (命がけで仕事をするからでしょうか。)

 陸の生活で、すっかり、株だの、暴落だの、利率だの、サブプライムローンだのって、「どんだけー」アメリカの失策を何故?・・世界が巻き込まれて大損しなければいけないのおー!!・・なまこも・・ほたても・・うにも首をかしげるでしょう??・・アメリカの失策になんで、世界の人々が生活に支障をきたす訳??よーく考えましょうね・・皆さん!!ここが、「要諦です」。家の金利が徐々に高くなるローンをナゼ?組ませたの?・・借りたのよ!それも失業者にまで・・アメリカは、いつもワンパターン思考で、戦略の「ネーミング」をつけるのが世界一上手な国なのだから・・日本も、どんどん「戦略ネーミング」を発進してほしい。「もてあましてしまう、おにいちゃん!!」私のアメリカへのため息ネーミングです。(日本にたかる・・ハイエナのようです。)

 投機をした人も、しない人も、「エコノミスト」のような顔をして、暴落の材料を並べる前に、「そんなの関係ねーえ!!」って、こじまよしお君に、米国株式市場にでも行ってもらおうじゃないの。

 ついでに、ねじりはちまきでもして、「あなたの国のおかげで、日本船がいつも汗水たらして仕事をしても、いつもアメリカに撃沈され続けているのが・・正義ですか??不義もブラックホールまで飛んで行ってますWAYO.」

どうですか?ホワイトハウスに一曲・・日本の流しで鳥羽一郎の「兄弟船」をアメリカにプレゼントしに行きましょう・・。?!

            たったひとりのおふくろさんに
         楽な暮らしをさせたくて 兄弟船は真冬の海へ
              雪の簾をくぐって進む
           熱いこの血はよー 親父ゆずりだぜ

   ホワイトハウスのテーマソングでもならないですかねえー(笑えない本気)

            新興勢力・貧しい国々の若者は、
       みんなこんな気持ちで律儀に働いているのですよ。

          本当に、馬鹿な兄弟を持った日本です。

 

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さあ大変!E

2008年01月05日 | 川柳

 MOU MOU MOU 先日の、アメリカ株の256ドル下落は、もはや、やらせだという情報が行き交っている。

 闇の商人は、すごいなー!世界の経済に新年早々、一撃を与えて、またまたヘッジで高利益を出し続けるのですから。

 今度、アメリカで大暴落でもあったら、ブラックマンデーのように、日本も介入して以前のように食い止めさせるのでしょうか??・・いい加減にして下さいよ!
そんなことになったら,またまたアメリカにお金を垂れ流しするだけじゃないですか。そして、インフレ+高税収=地方の弱体化がすごいスピードで加速するではありませんか。

 退職金が近々入る団塊の世代の方々、特に公務員の方々は、株・保険に騙されないで下さいね!一番狙われていますからね。

 株の動きと、商売の電話のベルとは連動していますので、困るのことでございます。

 でも、昨日の日本株が765円安で止まって良かったと考えているノー天気な私。
月曜日の株は上がるでしょう。心理不安が原因なのですから。

 天然ガスの需要が益々上昇する。石油の埋蔵年数が68年に修正された。(11年短くなった)ロシアの天然ガスプロムの役員のひとりが前ドイツ首相のシュレーダーさん。チェチェン紛争でお世話になった御礼に役員にしたプーチンさん。
 
 みんな、みんな、仕組んで、企てて、私たちは、いろいろ翻弄させていただいておりますが、今は、高度情報化時代なので、みんなバレバレ!

       天の目がインターネットに運ばれ裁かれる時代です。



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今年の展望と対処E

2008年01月04日 | 川柳

 MOU・もう1月4日、アメリカの株が新年早々、220ドルも暴落した、原油が1バーレル100ドルに高騰した。世界で金相場が活況を呈してる。

 いつもなら、どんなことがあっても、日本の証券市場はご祝儀相場で、多少なりとも株はちょっと上げ気味で終わるのだけれど、今日はどうなることでしょう?アメリカと連動してどんと下がらせると、それからの回復が遅い。

 悲観論に入るのが、心理的に一番怖い。でも、金相場が活況を呈していることはドルも、ユーロも、円も持っていてもデメリットとなる答えなのだから、かなり、世界の市場は悲観論ですね。半年後の経済の未来を予測する指数です。

 そこで、また一般人の「どぶ」と呼ばれる、債務者が多く出る。消費よりリテール金融に回した人が(個人投資家)が、泣く泣く泣く。
 いつも、弱者は泣くことになっている人間界のシナリオなのだから、皆さん、怖い株や怖い勧誘には気をつけましょうね。

 「いい話には必ず、毒があるものです。特に、お金が商品の勧誘は、人生までころがされますからね。」金融機関がいくら有名な企業であっても、あなたのお金の責任は持ってはくれませんよ。

 私の、先輩で教員だった方が、退職後、友人の「日産生命」に退職金を、全部かけてパアー!でしたからね。倒産しましたね、その会社「ひと言・・なぜ私に声をかけてくれなかったの??」本当に残念です。

 日本の将来の、金融市場は、証券会社も保険会社も大手三行しか、残さないように、シナリオが先に決まっているじゃないですか。

 銀行も、拓銀、北洋銀行の合併に見るように、裏で、財務省の圧力で煮え湯を飲まされるのは、いつも、地方銀行ですから。


 この、マネーの流れを見るのが、「未来経済予想図」ですが、さあ!地元函館は??
となると、函館市長始め、各行政機関にピカリと光る有能なリーダーがいますか??
 有言実行のリーダーならわかりやすいのですが、(どうでしょうか??)

東国原知事のような、宣伝マンが10人くらいいて、アジアへ、日本へ、市内へ、縦横無尽にアクションを起こしてくれたなら函館は、活力をすぐ取り戻せると思いますが・・それは現実的ではないよ!と言われたら・・もう函館は青江美奈風な「じゃじゃじゃじゃらららららあーああー!!」と、ため息路線です。

 函館くらい、歴史も、文化も恵まれた「資源都市」は無いではありませんか!!

 夏は、グレーのコンサートや、アジア的なミュージシャンの野外コンサートでも千代ヶ代球場で皆、フィールドでおっちゃんこしていただければ、どのくらい収容できるのでしょうか?

 公会堂は、アジアからも呼べるように、挙式場にして、観光客もおごそかにそこを見学しながら、または、参加しながら、一泊公会堂で新婚さんいらっしゃーい!の部屋を提供して、一生に一度、あのすばらしい施設の豪華な「夢を」提供すればいいじゃないですか?

私のいとこが、札幌の私立大学に勤務していますが、アジアの各教育機関へ、大学のセールスに行く仕事を任されて、機内泊で、観光など無しで飛び回っていますよ!

         もっと危機感を持ってクダサイマシヨ!

 草葉のかげで、当時5万円を寄付した「相馬哲平さん」が喜びますよ!函館の火災で私費をポケットマネーで建てたのですから。「公会堂」って意味?みんなのもの!!


 官民が力と、知恵を出し合って築いてきたすばらしい函館の歴史を、マネーで換算すると建物や各施設・各観光名所・道南ぐるりの自然の価値はどのくらいになるでしょうか。

 この計算は私のボケ脳みそでは、はじき出せませんが・・・特に、税金で生計を建てていらっしゃる皆さんの生活がかかっている・・・行政の方が・・21世紀へ、前例をかなぐり捨てて、函館の維新のリーダーになっていただきたいものですが・・・。?????

   時間がかかりますので・・民間のリーダーのご活用からお願いします!
        これって、陳情・・かな。珍情だニャン!
 




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