言葉のクロッキー

本とかテレビその他メディアから、
グッと感じた言葉・一文などを残してゆきたい。
その他勝手な思いを日記代わりに。

映画「ホワイト・クロウ」伝説のダンサー

2019-05-26 | 映画 音楽
原題:THE WHITE CROW  製作国:イギリス 127分
ヌレエフの自伝的な映画とともに旧ソ連国家の管理体制をうかがえる作品。
彼は幼少のころから踊ることが好きだった。長じて国立のバレー学校に経費入学。厳しいレッスンに励むが先生が気に入らず辞めるとまで言い出す。彼は自分の考えに忠実、自己中なのだ。新しい教師は言う「バレーは技術だけではない。バレーには物語が必要なのだ」と。この教師の下で彼は上達してゆく。やがて西側の国でバレーを披露することになり、彼も参加を許される。パリでの公演はソ連国家にとっても緊張する公演であったに違いない。大切に育て上げた団員に逃亡されでもしたら、目も当てられない。バレー団には厳重な監視員が同行し、西側の人間と話すだけで注意した。
大切に育てた人間は人民たちに公開し、国家の威信を高めるため国が管理してゆき、個人の希望・自由はないのだった。しかし彼はそんな政治的なことはお構いなしで、西側の人達と話し、おまけに彼のバレーに何かを感じた女性と共に夜のパリを楽しむ。また一人美術館で作品群に見入ったりして自由にふるまった。当然監視員には目を付けられ、さらに厳重に監視され幾度となく注意された。
やがてバレー団が帰国する時になったが空港でヌレエフ一人だけ、他のダンサー仲間と引き離されモスクワに戻ることを当局の監視員から告げられた。彼はソ連に連れ戻された後、薬物によって廃人同様にさせられてしまうことを直感する。彼の周りを取り囲む監視員。このどうにも逃亡できそうもないところを手助けしたのは、パリで知り合った女性ファン、パリで知り合ったばかりの友人、亡命実行に適切にアドバイスし、身を張って職務を実行した、空港警察のメンバー達だった。彼はただ踊りたかったのだ。政治的な思惑に捕らわれずにもっとバレーを追求したかったのだ。しかしソ連にはソ連のやりかたがあって、それはそれで意味があるのだけれど、ヌレエフは西側のバレーの雰囲気に自分の可能性を見つけ出し強く興味を持ったに違いない。しかし空港で予感した恐怖は祖国を捨てるということだった。祖国に居る、家族・恩師友人たちを犠牲にしてまでも自分を優先させたのだ。身勝手かもしれない。「白いカラス」とはそういう意味があるらしい。
バレーのシーンはそんなに多くはないけれど、素晴らしい。本物のヌレエフではないけれど、素晴らしい。本物の映像はエンドロールでフラッシュバックされる。面白かった。

映画 「運び屋」

2019-03-14 | 映画 音楽
原題:THE MULE
監督&主演:クリント・イーストウッド

88歳になってるというクリント・イーストウッド。顔は皺くちゃだけど動作は軽快にして洒脱。
原題は「ザ頑固者」みたいな意味らしいが、いい意味悪い意味いろいろあるのかもしれない。
ストーリーは、花の栽培・販売に情熱を燃やし、外面は良いものの内面は全くダメという役、しまいには家族に無視同然にされてる。そのうち頼りの花の事業で、時流に乗り切れずに失敗し、畑は差し押さえられ、寂しい晩年を過ごす羽目になる。そこに舞い込んだのが、運び屋の仕事。広い大陸を一人、気ままにものを運んで、大金の報酬を得る。味を占めて運びも重なってくるが、さすがにどうもヤバいものを運んでるらしいことに気が付く。それでも警察に捕まらないことをいいことにずるずると運んでいたが、しかし麻薬捜査官のほうも苦心惨憺の末、ようやくこの年老いたドライバーを突き止め、検挙されてしまう。このような実話があったらしく、実話に着想を得てこの映画を製作したらしい。
派手なアクションもカーチェイスも銃撃戦もなく、家族・組織の仲間・捜査官等との関わりあいを描き、観ていて退屈しない。気の利いたジョーク、アメリカンな音楽、広々とした大地・・・

裁判にかけられて、弁護士が擁護するスピーチの最中、「自分は有罪だ。」というが、それは麻薬の運び屋だけでなく、家族へむけてのメッセージだったのかもしれない。

映画『バハールの涙』

2019-01-23 | 映画 音楽
原題:『Girls of the Sun』 
 監督・脚本:エヴァ・ウッソン  製作:2018 フランス・ベルギー・ジョージア・スイス合作  111分
いつまでも続く終わりのない戦いが、中東で起こっている。かつてのベトナムやユーゴのように。
「2018年ノーベル平和賞受賞者ナディア・ムラドが訴えるメッセージを実感する、自らの尊厳のためISと戦う女性たちの生き様に・・・」とあるように、女性の立場から訴えた反戦映画。
監督・主役その他主な出演者は女性が多い。ISに夫を銃殺され、息子を捕られ、自らは性奴隷にされ、仲間を戦闘で失い、もう涙も枯れたという元弁護士の美人戦闘員バハール。彼女は女性兵士達のリーダーなのだ。またある女性戦場カメラマンは爆撃の破片で片目を損傷し黒い眼帯をし、カメラを通し、戦争の実態を世界に発信している。彼女の夫は戦場で取材中に落命。自分は娘を置いて戦場に身を置き取材活動を優先するジャーナリスト。
荒涼と荒れ果てた町々、緑の少ない自然環境を背景に、風の音すら聞こえるほどの静寂、そこに流れる刺すような緊張感。重量のありそうな自動銃を抱え、心に苦しみを背負った女性たちが、最前線に在ってISと熾烈な戦闘を繰り広げる。
現実に根ざした映画であることから、日本の現状との落差の大きさを考えてしまう。違った宗教・人種が混在する地域で安穏に生活する難しさを感じる。一旦崩れた平和は容易に元に戻らない。終わりの見えない紛争、泥沼の紛争へと発展してしまう。息子の救出に成功し、涙、涙のバハールだったけれど、彼女たちの戦闘は終わりではない。どちらかが根絶やしになるまで続く、果てもない戦いなのだ。そんな所に生まれなくて良かったよ

映画「家へ帰ろう」

2019-01-05 | 映画 音楽
原題「THE LAST SUIT」。製作国:スペイン・アルゼンチン合作 製作年:2017
原題と邦題「家へ帰ろう」とは一見結び付かないように思える。でも映画を観終わると、そういうことかと思う。
ホロコーストの地獄から脱出し、半死半生でたどり着いた我が家。しかしそこはかって親の弟子だった一家が住んでおり一家の主人は家を奪われるのを恐れ、けんもほろろの対応をする。だがその息子はそんな父親を許せず、父を張り倒してその青年の命を助けた。それから70年の歳月が過ぎゆき、二人は13000㎞も離れた、アルゼンチンとポーランドに分かれて住んでいた。男は仕立て屋として生計を立て、88年も生きながらえ、老人となり、家族にホームに入れられそうになる。それを良しとしない老人は、自ら仕立てた最後のスーツを持ってアルゼンチンから遠くポーランドまで旅をし、恩人へ届けようと決心をし、家族には黙って家を出る。飛行機や列車を乗り継ぎ行くのだけれど、それは多くの人たちに助けられての旅路だった。見知らぬ異国の人たちが差し伸べる無償の援助。この世の中捨てたものではないなと思わせる数々の援助に支えられ、老人はポーランドにたどり着く。そしてあの思い出の詰まったかっての我が家に帰り着くが、会いたい恩人はそこには居らず、訪ねても誰もそんな男は知らないという。途方に暮れる老人。しかしそこに奇跡が訪れる。老人がふと窓越しに見かけた男。何かにアイロンがけをしている眼鏡をかけた老人に何かを感じた老人はその男を見つめているうち、それは紛れもなく自分の命の恩人だと気が付くのだった。男も窓越しに見つめる老人に気が付き、見つめ返す。男の目に驚愕が広がる。外に出て言葉にならない再会を交し合う。やがて眼鏡をかけた男は言う。「さ、家へ帰ろう」と。
ある年寄りの思い出旅と言ってしまえばそれまでだけれど、中身は重い。触れたくない、思い返したくもない中身なのだけれど、二人の男の片隅に残っていた熱い思い、友情を人生の終盤で再体験した物語を演じた俳優の演技はすばらしい。またそれを支えた多くの人たちの演技が良い。心温まる作品。
      監督:パブロ・ソラルス  主演:ミゲル・アンヘル・ソラ

映画『ボヘミアン・ラプソディー』

2018-12-26 | 映画 音楽
イギリスのある小さな居酒屋。そこで演奏していたバンドのボーカルが、もっと大きな世界に憧れて辞めた。そこに口の大きなインド系の顔つきの青年が、ボーカルの後釜にと売り込みをした。難色を示したバンド達だったが、声を聴いて受け入れた。それがこの映画の主役だった。もともと歌がうまかったのとギター・ベース・ドラム担当も作詞・作曲・編曲・歌唱などどれも熱く演奏する若者たちだったので、中央に躍り出てゆくのも早かった。国内だけでなく、海外へもどんどん出かけ演奏し、大成功を続ける。観衆に受ける曲作り工夫がすばらしい。映画では次から次にとヒット曲を映し出して、飽きない。7万人余りの客と一緒になって歌う迫力。そういう観衆をまとめあげる、たった一人のボーカル。すごいオーラが全身から放射されてるのを感じる。演奏の素晴らしさだけでなく、仲間・家族・恋人・自分自身・創作上のぶつかり合い・取り巻き立ちやメディアの人たち・・そういうエピソードが合間に挿入されていて、この映画を理解するスパイスとなっている。クイーンのファンなら誰でも知ってることなのかもしれない。このボーカル、フレディ・マーキュリーは1991年に45歳で亡くなった。彼はHIVに侵されていたのだ。ラストの20分余りは、声がかすれてきたフレディが、その命の最後の残り火を掻き立てるかのような、一世一代、渾身の舞台を見せる。もちろん俳優が演じてるのだけど、素晴らしいパフォーマンスが繰り広げられる。まるでその会場の特等席に招待されたかのような、気持ちが大きく膨らむ後味が残る映画だった。


映画「アリー スター誕生」

2018-12-23 | 映画 音楽
原題「A STAR IS BORN」
主役は歌手、準主役は監督が務めた映画。でも役を演じるにあたって無理を感じなかった。監督でありながら、歌が上手い。抜群といってもいいくらいだ。物語は今の世の中でもありうる話で、スッと理解できる。アルバイトで生計をたてている女が、ある日、気まぐれに訪れたロック歌手の目にとまる。そして自身のステージに誘い出す。そこで歌った女の歌が観衆に受ける。しだいに多くの観客に受け入れられるようになり、やがてレコード会社のプロジューサーに見いだされレコードデビューし、これも売れ、グラミー賞新人賞受賞ということになる。しかし見出してくれたロック歌手はドラッグと酒に侵され大切な式の当日痛恨の失態を犯すことになる。それでも男を愛する女。失態を悔いる男。そして男は潔く舞台から去る。この映画のクライマックスはラストにあると思う。切々と女が歌い上げる男の作品。レディーガガのバラードが胸に浸みる。

映画「暁に祈れ」

2018-12-10 | 映画 音楽
原題「A PRAYER BEFORE DAWN 」。なにやらストイックななタイトルに魅かれる映画。
内容的に崇高さを感じさせる映画かと思いきやそうではなく暴力、闘争、過酷、不潔、残酷・・・的な映画だった。
所はタイの国、イギリス人のボクサーくずれ?はドラッグに溺れ、ある日警察に捕まり、タイの刑務所に収監されてしまう。映画はこの刑務所内の出来事が主なストーリーと言ってもよい。全身刺青だらけのタイ人犯罪者が詰め込まれた獄舎で夜、昼何が起こるのか、映画は実に克明に写し取ってゆく。現実はおそらくもっと物凄い現実があるのだろうが、そこは映画なので、そこそこに描かれている。それでも喧嘩、いじめ、強姦、自殺、殺人などなど映し出すのだ。音が凄い。タイの言葉を理解しない主人公が、凶暴なタイ人の集団の中に投げ込まれたときどうなるか。タイ語の字幕は出ないので、彼らの発する強烈な言葉が声だけで表現される。加えて効果音、腹に響くような音楽などが重なって、見る方も体力がないと続かない。刑務所内でムエタイに活路を見出した主人公。ドラッグから抜け出せないままに過酷な練習、トレーニングに耐える肉体。これ以上吐血したら命の保証はないと言われながらも試合に出場、どうにか勝ちを得る。そんなこんなのストーリーなのだが、このイギリス人ボクサーはビリー・ムーアと言って実在する人物だというから驚きである。映画はビリーの自伝小説が原作としている。読めばもっと物凄いことが書かれているのだろうが、映画はのっけから暴力的に観客に迫ってくる。こんな映画もたまにはアリかと思った。

映画 『 斬 』

2018-11-25 | 映画 音楽
「太平の世が揺らぎはじめた幕末。 人を斬ることに苦悩する一人の侍。生と暴力の本質を問う。」という作品。
塚本晋也が監督・脚本・撮影・編集・製作を手掛け、自らも重要な役どころを演じた作品。
日本刀が主役なのかもしれない。真っ赤な火のなかで鍛錬されて出来上がる刀。青々と冷たく光る刀身。鋭く空気を切り裂く刃音。刃と刃が強烈にぶつかり合い、こすれ合う刃音。その刃が人を斬る。大根を斬るようにあっさり斬り飛ぶ腕。切り裂かれた胴体から噴出する血潮。断ち割られた額。血まみれになった手足。塚本が演ずる剣豪は、剣の暴力性を遺憾なく発揮するが、主役の若い武士は、凄腕なのにもかかわらず人を斬れない。世話になった村の人達が夜盗に惨殺され、剣を教えた若者が殺され、村人に成敗を懇願されても、憎しみこの上ない夜盗達を斬れない。幕末の動乱のとき、人を斬ることに迷いがあったら自らが斬られることになるか、鉄砲の餌食になるくらいしかない貧乏な侍なのだけど、この映画は物語はどうでもよく、刀を縦横に扱えるにもかかわらず、刀の目的たる人を斬ることに恐れを抱く、苦しみ悩むことに照準があるように思う。釣り書きの通りと思う。
映画はそういう内面の葛藤、屈託、迷いのようなものを、舞台の演劇のように表現する。鬱蒼と茂る林の中で、またのどかな田園風景をバックにして、また夜盗達を目の前にして「どうする、どうしたらよい、どうしたらこの心の怒りをぶつけることができるのか・・・」悩む。しかし遂に人を斬る。同志を集めていた剣豪は、誘った若者が離反したことを知り、切り捨てようと若者に迫るが、若者は必殺の刃を振るい剣豪を倒す。しかし生き残った喜びもなく、なお苦しみから逃れようもなく悄然とした姿を残し映画は終わるのだ。
時代劇とはいえ、セリフは全くの現代語、標準語なので、違和感がある。しかし主役の池松壮亮、蒼井優は自然を舞台にして剣にまつわる苦悩を熱演したと思う。

映画 『華氏119』

2018-11-04 | 映画 音楽
なんかすごい映画だ。
ドキュメンタリーが主で、創作ではないだけに胸に響く熱い思いが伝わってくる。
『アメリカがこれでいいのか!』とマイケルムーア監督がスクリーンを通して唾を飛ばさんばかりに訴えてる感じがする。
トランプが大統領になれたのは、アメリカにその下地があったからだし、
その下地こそ問題を孕んでいるのではないのか?座して待つだけでいいのか!と問いかけてるような気がする。
あり得ないと思われたことが、国民参加で起きている現代なのだ。
それにしてもアメリカ人は熱い国民なんだと再認識させられた映画だった。

映画『ハナレイ・ベイ』

2018-10-19 | 映画 音楽
麻薬中毒で夫を失った女。そんな男との間に生まれた一人息子。女は息子が嫌いだった。
息子がサーフィンするためにハワイに行った。そしてサメに襲われて死んでしまう。
東京からハワイに飛んだ女は、冷たくなった息子を確認する。帰国しようと空港まで来たけれど、他人のサーフボードを眺めているうち気が変わり、しばらくハワイ・カウアイ島ハナレイに滞在する。
毎日、飽かずハナレイ・ベイの海を眺めた。そしてそれは10年あまり続くことになる。そのつど海を見て過ごした。深い悲しみと怒りとやり切れない思いを胸に秘めて。
忘れようと努めたけれどできなかった。女は息子を愛していたのだ。知らずに深く愛していたのだ。そのことにハナレイ・ベイの海を眺めているうちに、じわじわと分かってくるのだった。
そんなある日、片足を失ったサーファーが海辺に立っているのを見たという若者がいて、そのサーファーに会いたくて海辺を彷徨って探すが見つからない。
明るい空色をしたカウアイ島の海の色。温かく、しょっぱさを感じない海水、砕け散る白い波。そんな海に無心に波乗りに熱中する若者たち。亡き息子の面影を追い、生前ぶつかりながらも共に生活していた頃を回想する。
スコール、南国特有の木々、海辺に生育してる大木、強い海風、島の住人、島の建物、島のサルーン、島の夜の臭い・・・
いろいろ印象的な映像が写しだされるが、しかし、海のシーンがとても多かった。スクリーンいっぱいにハナレイ・ベイの海を映し出す。波の音、波の色、砕け散る波頭、夕日に沈む海。
映画を観ていて、その悠久さに癒されながらも一人ぽっちになった女の物語に共感する。日本人的には諸行無常ということか。この作品は日本人が主体だけれど、英語の会話シーンも多く洋画と言ってもよいくらい洋風なのだ。舞台が専らカウアイ島だからかもしれない。
毎日いつまでも海を見つめていた女は、ある日吹っ切れたのか、海にサヨナラをしたあと振り返ったその先に見た者は亡き息子だったのだろうか。
村上春樹の原作。原作からの解釈はいろいろだろうけれど、映画はサラッとして、不幸な女の物語を包み込み、体の中をカウアイ島の風が吹き抜けたような後味が残る。
主演の吉田羊は、ずけずけとものを言い、バリバリの英語を喋り、男勝りの強い女を演じ、説得力があってとても良かった。