言葉のクロッキー

本とかテレビその他メディアから、
グッと感じた言葉・一文などを残してゆきたい。
その他勝手な思いを日記代わりに。

第二十四回としま能の会

2011-09-09 | 能・芸能
番組                  池袋・サンシャイン劇場

・解説  横浜能楽堂館長 山崎有一郎

・宝生流舞囃子『天鼓』  シテ:水上輝和

・和泉流狂言『蝸牛』  シテ:野村萬  アド:野村扇丞  小アド:野村万蔵

・観世流 能 『紅葉狩』鬼揃え シテ:観世喜正 ワキ:宝生欣哉  
                ツレ:奥川恒治 鈴木啓吾 古川充

劇場の舞台に能舞台を設置しての演能。豊島区では当初近くの公園で野外能をやっていたらしい。天候の影響や観客のこともあって、いつからか屋内でやるようになった。やはり橋懸りの設営には無理があるように感じた。演者は器用にこなしていましたが。劇場なので観客席は舞台かぶりつきから奥にかけてせりあがっており、どの席からも良く舞台が見える。能楽堂の見所のように、前の席に座った人の影響で舞台が見辛いと言うことが無いのが良い。会場に入る前、狭いエレベーターでは、お付きの若者達を引き連れた野村萬師と一緒だった。こんなことは滅多にないことだ。お顔の色艶と言い、張りといい、健康そのものという感じだった。自身の健康管理には十分に注意しておられるのだろう。
今回は「紅葉狩」に焦点を当てて観に行った。特に酒宴のシーンから終盤にかけて。だいたい理解できたけれど、一畳台の上に作物があってその中で着替えたり、残りの半畳で舞ったりするのは、面を着けてるだけに良く演れるものだとつくづく思ったりした。

銕仙会九月定期

2011-09-09 | 能・芸能

番組                宝生能楽堂

・能『井筒』 シテ:観世清和  ワキ:宝生閑  アイ:山本泰太郎

・狂言『茫々頭』 シテ:山本東次郎 アド:山本則重

・能『菊慈童』 シテ:観世淳夫 ワキ:御厨誠吾 ワキツレ:大日方寛

大曲「井筒」。「世阿弥が六十を過ぎて書いた夢幻能の自信作であり、最高傑作である。」 終盤に山。「業平の面影をしたい、形見の衣冠を身にまとい現れた有常の女の霊。業平の面影を慕い舞を舞う。筒井筒と謡ったのも今は遠い昔、幼き頃のように井戸の水鏡に我が身を映せば、それは業平の姿そのままで、懐かしさは限りない。やがて凋める花が色を失い、匂いだけが残るように女の亡霊は夜明けとともに消え果た」 序の舞。
ちょっと期待が大きかったのかもしれない。映像の世界だと面白そうと思った。

東次郎師が都の様子を仕方話で演ずる。これはおもしろかった。もう殆ど師の独り舞台のようなもの。