監督:小栗康平 2015「FOUJITA」製作委員会/ユーロワイド・フィルム・プロダクション
映画前半は1920年代のパリが舞台。藤田の絵が売れ始めた頃から始まる。モンパルナスのどこかの場末にある倉庫のような粗末なアトリエで藤田は制作にふける。オカッパ頭に丸メガネ。仲間の集まるカフェにはピカソやモジリアーニなど後になって有名になった画家たちが集い、パーティーやばか騒ぎを繰り返している。パリの街角、夜のパリ。セーヌの濁った水。街角の八百屋、骨董市。カフェでの雑談。いろんな風景が映し出される。映像は絵のように決まってるが、蝋燭の光や淡い室内灯に照らし出された顔が暗闇に近い背景にボンヤリ浮かんでるようなシーンが多い。それだけに時々映し出される明るい光に満たされたパリの風景が美しい。藤田の出来事が脈絡もなく、断片的に展開されてゆく 。渋く重い感じのテーマ音楽、鋭いトリの声、硬い靴音、能の囃子・・・いろいろな効果音を背景に喜怒哀楽を感じない役者たちの台詞まわし。観ていて伝わってくるものがあまり無い。そして突然にという風に後半の1940年代の日本に舞台は変わる。
藤田は画壇のトップにいて、日本軍から先生と呼ばれ国威発揚のため大作の戦争画を描く。作画のシーンは殆ど無く、完成された絵を効果的に画面に挿入している。みずみずしい日本の山々。黎明の雲間に浮き上がる山々の連なり。いくつもの棚田が鉛色の光に照らされ藤田が畦道を歩く。樹齢が知れない巨大な古木に素朴な供物。農村の風景そして赤紙が来て招集される若者の母の苦しみ。果ては言い伝えの狐が、たくさんCGで挿入されたりして、断片的に映画は作られている。藤田の・・というより監督の心象を映像化してるのかもしれない。
そしてエピローグ。フランスの寒村に建つ礼拝堂。余すところなく映し出される。その佇まい。壁画、祭壇の絵。華麗なステンドグラス。天井のフレスコ画。すべて藤田の遺作なのだ。
映画を観ても藤田嗣治のことはさっぱり分からない。この映画は藤田の作品をバックに、日本とフランスを背景にした、大人の絵本のような作品かもしれない。数千点にも残る藤田の遺作があるという。しかし自分が知る絵はほんとに限定的なもののように思う。ある意味、藤田は戦争の犠牲者ともおもえるし、それは日本人に彼の作品が意図的に目に触れないように仕向けられていたのかもしれない。彼の絵はもっと日本人に評価されるべきなのだ。