つれづれ写真ノート

   カメラと写真 そして世の中の色々なこと---

名取洋之助展

2014年10月01日 | イベント

大阪高島屋で開かれている「報道写真とデザインの父  名取洋之助展」(9/25~10/5)を見てきました。

(東京では昨年12月に、日本橋高島屋で開催済み)

 

知り合いから招待券をいただいたので…

 

名取洋之助(1910~1962年)は、日本の写真史上大きな影響を与えましたが、よほど写真に興味のある人でなければ知らないでしょうね。

木村伊兵衛、土門 拳など同時代の写真家の自伝には必ず出てきます。私も断片的には知っていましたが、作品や業績をまとめて見るのは初めてでした。

 

元慶應義塾大学教授・実業家の名取和作の三男として東京で生まれた名取洋之助。

母も実業家の娘で裕福な家柄。慶應義塾幼稚舎では岡本太郎(画家)と同期で、岡本太郎と同じくやんちゃな坊っちゃんだったようです。

成績が悪く、大学進学が難しいため「いっそ留学でもしてみたら箔もつくのでは」と、18歳でドイツに留学したのが、日本の報道写真家の草分けとして花開くきっかけに…

知り合ったドイツ人女性エルナ・メクレンブルグ(のちに結婚)が撮った写真を新聞社に持ち込み、それが掲載されます。

(この写真は、博物館で火事があった後、出品した工芸家たちが焼け跡で作品を掘り出している光景。これをモノになると直感、「宝さがし」のキャプションで売りこんだ名取のジャーナリスティックな感性はなかなかのもの。しかし親しい女性が撮った写真で世に出るとはネ… キャパの「崩れ落ちる兵士」でも似たような説が… )

 

ともかくドイツで報道写真家となった名取。会場に展示されている初期の作品では、ベルリンオリンピック(1936年)の写真が特に良かったですね。

聖火リレーを記録する映画スタッフ、オリンピックスタジアムのパノラマ写真、「前畑ガンバレ!」の、あの前畑秀子が200m平泳ぎで金べダルのゴールをする瞬間、棒高跳び銀メダルの西田修平の跳躍シーンなどがありますが、面白いと思ったのは、「日本選手団を歓迎する人垣」。

 

会場で買った作品のカード(JCIIフォトサロン)。一番右下が「日本選手団を歓迎する人垣」。

 

乗っている車から撮ったと思われます。手前にベンツのエンブレムをはさんで五輪旗と日章旗を入れ込み、向こうには歓迎の人垣。おさげ髪の少女も混じる群衆を警備している男たちには笑顔も見られますが、全員がナチスの鉤十字の腕章をしています。

「そういう時代だったんだ… 」

いろいろな情報が盛り込まれた、これがまさに報道写真です。

 

ドイツでいわばド素人のレベルから苦闘するうち、一流の報道写真家としてコツをつかんだんですね。

 

このあと1937年、愛するエルナと一緒に自動車でアメリカ大陸横断撮影旅行を敢行します。

「宿や食事がどうであろうと若い私たちにとっては旅行こそ最上の楽しみだった」(「アサヒカメラ」1950年9月号=会場で販売の「名取洋之助」白山眞理著より)。

 

白山眞理著「名取洋之助」。会場で購入。

 

一連のアメリカ撮影で1万カットを撮影、その成果は「ライフ」「フォーチュン」などに掲載されました。

この中で傑作だと思うのは「摩天楼から紙飛行機を飛ばす紳士  シカゴ」。

「IMA ONLINE」のページの冒頭にも出てくるのでご覧ください。

身なりのきちんとした紳士が、高層ビルの窓から外へ紙飛行機を飛ばそうとしているシーン。目眼をかけ葉巻をくわえ、白いワイシャツの袖にはカフスボタン。こういう紳士が子供っぽい悪戯をする面白さ。手前には、まだこれから飛ばそうとする紙飛行機がいくつも用意されています。背景にはアメリカの富の象徴たる摩天楼。いわば富の余裕が生む「稚戯」というわけでしょうか。

紳士のシルエットはグラフィックデザインのようでもあります。構図といい、被写体が持つ味わい深さといい、完ぺき…

 

スナップの名手としてアンリ・カルティエ=ブレッソン、木村伊兵衛がよく上げられますが、名取もうまい。再評価されていいのでは。

 

戦局が悪化して、日本に帰国した名取は報道写真を掲げた創作集団「日本工房」を創設。対外宣伝グラフ誌「NIPPON」で日本の姿を世界に伝えようとします。

会場に展示された「NIPPON」の表紙は実に斬新。

しかし、写真家やデザイナーに出す「ダメ出し」が多く、気に入らない写真のプリントを次々に破り、撮ってきた写真家の頭の上からバラまくというようなこともやったようです。

 

こういうことをやると、メンバーは離脱するし、組織がもたないものですが…

 

まあ、名取という人の情熱、雑誌発行を支えるだけの名取家の財産があったからやれたんでしょう。

好き放題、ご機嫌な人生。うらやましいですね。

 

後には「岩波写真文庫」の中心として活躍、日本人で初めて中国・麦積山石窟を撮影するという大きな仕事をしています。

麦積山石窟の写真は土門 拳のように、石仏と対峙して「凝視」するイメージ。

 

「名取洋之助の中に、すでに木村伊兵衛も土門 拳もあるじゃないか… 」という気もしました。

 

会場には撮影に使われたローライフレックス、コンタックス、ライカ、ニコンのカメラが並んでいました。金属部がキラキラして宝石のよう。

 

場内は撮影禁止でした。ユーチューブにアップされた昨年の東京での動画(インターネットミュージアムより)を参考にご覧ください(大阪での展示もほぼ同じ)。