徳を積む
2012-07-24 | 宗教
ある男性 K さんが病気でお亡くなりになった。
50歳くらいの若さだった
通夜が始まるまえ参列者は思い思いに雑談していた
ある女性が言った
「まだ若いのに本当に気の毒だわ」
その言葉を聴いた50代の女性 S さんがこういった
「 徳を積まないとだめだよ、徳を積む事が肝心ね 」
Sさん、熱心に宗教をやっていて信仰深い人
それを聞いていたN・Aさんが言った
「 徳を積むとはどういう事? 私は何が 徳 で何が 徳 でないかが分からないわ 」
S さん 「 徳を積む事が一番大事よ 」
N・Aさん 「 もういい! 」 と言ってその人から離れた
この話は私の母親から聞かされた話
実はN・Aさんは私の母親
もし仮に私がその場にいたとしても
母と同じ事をしただろうと思う。
Sさんの言葉は kさんの病死の原因は 「徳を積んでいないから」と聞こえる。
S さん たぶんそれが言いたかったのだろう。
こんな場所でこんな事を言うのは大変不謹慎で、非常識に思える。
信仰熱心なSさんに聞いてやりたい
① 徳を積むと病気にならないのか?
② 徳を積まないから病気になったり、不運が起きるのか?
③ 自分が病気にならないため、不運が起きないための予防策としてあなたは
徳を積んでいるのか?
Sさんこの質問にどう答えるだろう・・・・・私の価値観でSさんを見ると
Sさんは神仏を信じているとは思えない。
神仏を信じているのではなく
「 取引 」 しているように思える
「 徳を積む 」ことは積み立て保険をかける事のように思っているなではなかろうか?
取引とは自分行った事と引き換えに、何かを得る権利を受け取る事
ならば、もし自分が積み立てしていたにも関わらず
イザとなったとき、何も見返りが無かったら・・・・・
Sさん怒ってしまうでしょう。
もう神も仏も信じない!! というかも知れない
Sさんのような人は 神を信じているのではなく
見返りを信じているだけではないだろうか?
Sさん、ある団体に所属し、その中では講師のような立場になり、
先生と呼ばれている偉い人らしい。
よい行いを積み重ねる事は確かに尊いことだと思う。
でも、「 良い行い 」とは、自分の内面から自然に
湧き上がってくるものではないだろうか。
残念ながら Sさんのような信仰者、宗教家は大勢いる。
こういう人達は
「 徳を積めば必ずそれは自分に帰ってくる 」 と力説されるが
それは、限りなく物理的な法則に近いと感じる。
例て言えば・・・商売において、お客さんを満足させ、喜ばすことができれば、
その店は繁盛し、豊かになる。
いくら愛想を振りまいても、心を込めて接客しても、
お客さんを満足させることのできない内容であったなら、
その店は必ず潰れる。
これは、精神論 だとか、「 徳を積む 」だとかは別問題で、
経済の法則 であり、当たり前のこと。
商売の原則を守ったから、繁盛しただけのこと。
「 徳を積むことが大事よ・・ 」 などと
声を大にして言うべき程のことではないと思える。
生半可な宗教者は、たぶん
積み立て保険が効力を発揮しなかった場合、また違ったモットもらしい説教を
始めるでしょう・・・・・諸行は無常だ!!!・・・
もっとも、宗教家のなかには「 徳を積む 」という言葉に、
深い意味を込めておられるお方も存在しています。
でも、
残念ながら、多くの場合、???? と思えてしまう。
私が思うに・・・・
‘ 徳 ‘ とは「 積む 」 ものではなく「 行うももの 」
「 行い 」 に
‘ 積む ‘ だとか ‘ 蓄える ‘
などと理由付けする必要があるのでしょうか ?
私はあえて逆説的に考えるようにしています。
「 徳を積んでも 何も帰ってこない。恩は仇となって帰って来ることもある。
それでも、自分の良心の声を恐れ、それに従え 」
私は、自分に、このように言い聞かせています。
50歳くらいの若さだった
通夜が始まるまえ参列者は思い思いに雑談していた
ある女性が言った
「まだ若いのに本当に気の毒だわ」
その言葉を聴いた50代の女性 S さんがこういった
「 徳を積まないとだめだよ、徳を積む事が肝心ね 」
Sさん、熱心に宗教をやっていて信仰深い人
それを聞いていたN・Aさんが言った
「 徳を積むとはどういう事? 私は何が 徳 で何が 徳 でないかが分からないわ 」
S さん 「 徳を積む事が一番大事よ 」
N・Aさん 「 もういい! 」 と言ってその人から離れた
この話は私の母親から聞かされた話
実はN・Aさんは私の母親
もし仮に私がその場にいたとしても
母と同じ事をしただろうと思う。
Sさんの言葉は kさんの病死の原因は 「徳を積んでいないから」と聞こえる。
S さん たぶんそれが言いたかったのだろう。
こんな場所でこんな事を言うのは大変不謹慎で、非常識に思える。
信仰熱心なSさんに聞いてやりたい
① 徳を積むと病気にならないのか?
② 徳を積まないから病気になったり、不運が起きるのか?
③ 自分が病気にならないため、不運が起きないための予防策としてあなたは
徳を積んでいるのか?
Sさんこの質問にどう答えるだろう・・・・・私の価値観でSさんを見ると
Sさんは神仏を信じているとは思えない。
神仏を信じているのではなく
「 取引 」 しているように思える
「 徳を積む 」ことは積み立て保険をかける事のように思っているなではなかろうか?
取引とは自分行った事と引き換えに、何かを得る権利を受け取る事
ならば、もし自分が積み立てしていたにも関わらず
イザとなったとき、何も見返りが無かったら・・・・・
Sさん怒ってしまうでしょう。
もう神も仏も信じない!! というかも知れない
Sさんのような人は 神を信じているのではなく
見返りを信じているだけではないだろうか?
Sさん、ある団体に所属し、その中では講師のような立場になり、
先生と呼ばれている偉い人らしい。
よい行いを積み重ねる事は確かに尊いことだと思う。
でも、「 良い行い 」とは、自分の内面から自然に
湧き上がってくるものではないだろうか。
残念ながら Sさんのような信仰者、宗教家は大勢いる。
こういう人達は
「 徳を積めば必ずそれは自分に帰ってくる 」 と力説されるが
それは、限りなく物理的な法則に近いと感じる。
例て言えば・・・商売において、お客さんを満足させ、喜ばすことができれば、
その店は繁盛し、豊かになる。
いくら愛想を振りまいても、心を込めて接客しても、
お客さんを満足させることのできない内容であったなら、
その店は必ず潰れる。
これは、精神論 だとか、「 徳を積む 」だとかは別問題で、
経済の法則 であり、当たり前のこと。
商売の原則を守ったから、繁盛しただけのこと。
「 徳を積むことが大事よ・・ 」 などと
声を大にして言うべき程のことではないと思える。
生半可な宗教者は、たぶん
積み立て保険が効力を発揮しなかった場合、また違ったモットもらしい説教を
始めるでしょう・・・・・諸行は無常だ!!!・・・
もっとも、宗教家のなかには「 徳を積む 」という言葉に、
深い意味を込めておられるお方も存在しています。
でも、
残念ながら、多くの場合、???? と思えてしまう。
私が思うに・・・・
‘ 徳 ‘ とは「 積む 」 ものではなく「 行うももの 」
「 行い 」 に
‘ 積む ‘ だとか ‘ 蓄える ‘
などと理由付けする必要があるのでしょうか ?
私はあえて逆説的に考えるようにしています。
「 徳を積んでも 何も帰ってこない。恩は仇となって帰って来ることもある。
それでも、自分の良心の声を恐れ、それに従え 」
私は、自分に、このように言い聞かせています。