「火」を扱うと言う事は
根本的な部分での人間の本質を意味する事だと思う。。
人間の歴史のなかで、炎 は単なる道具ではなかったはずである。
地球上の生物で 火 を扱うのは人間のみ。
神仏を崇拝するのも人間のみ。
自然現象に対して 聖なるもの を感じる事が出来るのも人間のみ。
犬が ご来光 (朝日)を拝んでいる姿は見た事がない・・・
当たり前でしょー!!!
はい、当たり前です
でも、このことが重要な部分であると私は思ってます。
最近 エコブームでオール電化が持てはやされています。
家の中から 火 を一切なくす事は、
人間の本質の否定する行為に思えます。
火 は人間にとって 第一の 「聖なるもの」 なんです。
だから 洋の東西を問わず、
原始の時代から 火 は宗教と密接な繋がりをもってきたのです。
人間は 炎 の中に 生命 を感じる潜在能力をもっているんです。
人間が日常の生活のなかで 炎 を扱わなくなってしまったら、
それは 万物の霊長たる 人間 の基盤を失う事にってしまう。
大袈裟な言い方かも知れないけど・・・
火 を失う事は 家の生命 が絶たれる事になると思う。
環境問題 云々という前に 、
火 の重要性を認識すべきではなかろうか?
もし、騙されて、
既にオール電化にしてしまった人はどうすれば良いか?
毎日 必ず仏壇か 神棚に ロウソクの火を灯すべきだと思う。
写真の後ろ姿は 大行満 大阿闍梨 山田龍真 先生
平成24年節分祭にて撮影