作家の曽野綾子さんがお亡くなりになりました。
老衰で死去、93歳とこのとです。
謹んでお悔やみ申し上げます。

私は曽野綾子さんを尊敬しています。
私が曽野綾子さんから受けた影響は甚大です。
高校生のとき曾野綾子さんの本を始めた読みました。
それ以来、曽野綾子さんの書いたエッセイや
論評などの著書は、新刊が出るたびに、
ほぼ、100%読んで来ました。
曽野さんは熱心なキリスト教徒でした。
私はキリスト教徒ではありませんが、
曽野綾子さの本から、多くの事を学びました。

宗教に対して、私が感じていること・・・
(特に宗教団体の関係者)
「宗教は方便とい大義名分に於いてウソが許される」
「その副作用として、ウソと真実の境界線が曖昧となり、
誤魔化すことが習慣となっている」

ここで云う、誤魔化しとは、
『理論のすり替え、』
『美談で逃げる』
『忖度を誘導する』
『異論を受け付けない雰囲気を作り出す』
という意味であり、一般論でいう
ゴマカシ(不正)とは意味が違います。

良くも悪くも、これが実態であり宗教の
功罪であると思っています。

曽野綾子さんは、
誠実で、正直で、ウソをつかないお方でした。
曽野綾子さんは熱心なキリスト教徒です。
私の勝手な主観ではありますが・・
曾野綾子さんと
親鸞聖人には大きな共通点があるように思います。
親鸞聖人は
「宗教史上 最大の正直者」
と思っています。

この他に、
曽野綾子さんと親鸞聖人の共通点を挙げるなら、
「徹底した合理主義」
「死後の世界に対しては、
肯定も否定もしない立場を貫いた」
「御利益を説かない」

私のイメージする親鸞聖人の気質と
私のイメージする曾野綾子さんの気質は、
その本質的な部分に於いて、
瓜二つのように感じられる。
(これは、あくまでも私の主観です)
立派な人間になろうとは思わない。
良い人になろうとも思わない。
だだ・・
それ以前の問題として、
曽野綾子さんのような、
正直で誠実な人間を目指したい。
老衰で死去、93歳とこのとです。
謹んでお悔やみ申し上げます。

私は曽野綾子さんを尊敬しています。
私が曽野綾子さんから受けた影響は甚大です。
高校生のとき曾野綾子さんの本を始めた読みました。
それ以来、曽野綾子さんの書いたエッセイや
論評などの著書は、新刊が出るたびに、
ほぼ、100%読んで来ました。
曽野さんは熱心なキリスト教徒でした。
私はキリスト教徒ではありませんが、
曽野綾子さの本から、多くの事を学びました。


宗教に対して、私が感じていること・・・
(特に宗教団体の関係者)
「宗教は方便とい大義名分に於いてウソが許される」
「その副作用として、ウソと真実の境界線が曖昧となり、
誤魔化すことが習慣となっている」

ここで云う、誤魔化しとは、
『理論のすり替え、』
『美談で逃げる』
『忖度を誘導する』
『異論を受け付けない雰囲気を作り出す』
という意味であり、一般論でいう
ゴマカシ(不正)とは意味が違います。

良くも悪くも、これが実態であり宗教の
功罪であると思っています。


曽野綾子さんは、
誠実で、正直で、ウソをつかないお方でした。
曽野綾子さんは熱心なキリスト教徒です。
私の勝手な主観ではありますが・・
曾野綾子さんと
親鸞聖人には大きな共通点があるように思います。
親鸞聖人は
「宗教史上 最大の正直者」
と思っています。

この他に、
曽野綾子さんと親鸞聖人の共通点を挙げるなら、
「徹底した合理主義」
「死後の世界に対しては、
肯定も否定もしない立場を貫いた」
「御利益を説かない」

私のイメージする親鸞聖人の気質と
私のイメージする曾野綾子さんの気質は、
その本質的な部分に於いて、
瓜二つのように感じられる。
(これは、あくまでも私の主観です)
立派な人間になろうとは思わない。
良い人になろうとも思わない。
だだ・・
それ以前の問題として、
曽野綾子さんのような、
正直で誠実な人間を目指したい。
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