白ウサギ 問う・・・・・
「 どうしたら悟りの境地 に達する事が出来るのでしょうか ? 」
導き兎 答える・・・・
「 悟る ことは誰にも出来る。簡単さ。 」
白ウサギ問う・・
「 意味が分かりません・・・ 現に私は悟りの境地に達していません。 」
導き兎
「 あんたの言う 悟り と何ですか ? 」
白ウサギ
「 苦悩や、心の迷いから開放される事です 」
導き兎
「 うん、そんな事誰でも出来てるじゃないか・・・ 」
白ウサギ
「 導き兎様!! そういう詭弁はやめて頂きたい!!!
ならば、導き兎様の仰る ‘ 悟り ‘ と何ですか!!! 」
導き兎
「 持続だ !!!! 」
白ウサギ
「 持続 が悟り?? 意味がわからん!!! 」
導き兎
「 今まで、悟る 機会は何度でもあっただろう!!!
知恵のある人に教えられたり、
実体験中で何かの思いが込み上げてきたり・・・
美しい自然を眺めていて、フト何かを感じたり・・・
感動する話を聴いたり・・・
大きな失敗をして、懺悔の気持ちが込み上げてきたり・・・・
そういう機会は何度でもあったはずだ・・・
そういった体験の中で、そのとき 何かを悟ったハズだ・・・
そのときの ‘ 決意 ‘ 想い ‘ 信念 ‘ を
そのあとも 継続し続ける事、
これを ‘ 悟り ‘ と言うんだ・・・ 」
白ウサギ
「 ・・・・・・・・・・・・・ 」
導き兎
「 悟る 事など、誰でも出来る。
悟り よりはるかに難しいのは ‘ 持続 ‘ だ 」
白ウサギ
「 持続とは、言い方を変えれば 努力 と 忍耐 でしょ?
努力・忍耐が 悟り なら、全ての人間は死ぬまで楽は出来ない、
それが 悟り と言えるのですか?? 」
導き兎
「 俺が言いたいのはなぁー 持続という行為のなかで、
見えるものがあるということだ。
得ようと得ようと思っているうちは何も得れない。
欲しい・・欲しい・・と思っているうちは、何も得られない。
持続のなかで、
『 自分を忘れろ 』 ということだ。 」
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