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飽海地域史研究会 明治30年奥羽人類学会による遺物発見地名表 2週間前
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酒田は北前船で栄えた湊街で、昔ほどの元気はありませんが、山居倉庫、河岸に便利な町並み、料亭など、町民文化が残っています。
酒田は風の街で、江戸時代は5-7年毎に、何百件と焼ける大火を繰り返して来ました。この町並みと道路では、風の影響を受け火事は止まらないだろうに、何百年も変わりません。
焼けたら、また建てれば良いさと考える強さと財力があったのだと思います。
それで、酒田には古い建築はさほど残っていません。酒田人気質も、くよくよせず諦めがよいのが特徴です。隣の町からは「無駄な明るさ」と悪い意味で言われています。
地震が落ち着き、酒田を訪れた時には鶴岡市郊外にある加藤清正公の墓所にも、立ち寄り頂ければと思っております。
実は、お世辞でもなんでもなく、酒田はずっと前から私の憧れの町です。理由はいくつかありますが、一つは10年ほど前、インターネットの西部劇好きのBBSで、最も親しく情報交換していた方が酒田市の方だったのです。時々、酒田の様子などもうかがっておりましたし、もともと北前船の湊町として興味を抱いていました。機会があれば行ってみたい町のナンバーワンです。
地震が早く終息して、そんな日が来るのを楽しみにしています!