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5月11日、飽海地域史研究会が酒田市総合文化センターで行われたのだが、建築士会支部総会が同日に時差有りで行われるため、途中で抜けて会場の香梅咲に向かう。
昨年も同じように移動した記憶があった。あの日も暑かったので、出来るだけ日陰を求めながら裏道を通った。
寿町を歩いていると、警察の黄色の規制線テープが見えた。数日前の火事の跡かと窺える。
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酒田市では、ここ何日も火事が起こっている。5月13日では北目で3棟が焼け怪我人も出た。
ただその前の連続して起こっている火事は、殆どが空き家か留守中で、積んであった丸太の火事も有り、もしかして放火ではと疑心暗鬼になっている。
この道は私が幼稚園と小学校の8年間にも渡って通った道なのである。
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子供たちは近道を使う。
ここは厳島神社で、通称弁天さん。子供の頃は毎日のように遊んだ境内だ。
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この右側の方にはシーソーなど遊具も設置してあり、子供たちの安全な遊び場だった。
右奥の赤い稲荷さんは、ちょっと恐い。その後ろには雨に濡れた雑誌なども転がっていたものだ。
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手水に用いるべき石なのだろうが、私などこの中にトップリと入って砂など持ち込んで遊んでいた。
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社務所の後ろは一段高い石垣が積まれており、地持院(後に若草幼稚園も併設)で、現在は酒田大仏が建っておられる。
私達が子供の頃はその姿はなく、大正3年(1914)に建立された1代目の大仏は、戦時中の金属不足の折に軍から摂取されていた。
現在の大仏は平成4年(1992)に新たに建てられたものである。
石垣の高さは3m強。昔は砂の斜面で、小学校の悪ガキ隊は「ここを飛び降りね~と、仲間にしてやらね~。」の掛け声で、ビョンビョン飛んだものだ。
結構小さい子も飛んだと記憶している。
飛び降りた時の足の裏がじ~んと痛かった。
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厳島神社の床下は広い。ここに缶からやっこが住んでいた気がする。
日枝神社には記憶がないが、日和山公園の安らぎの塔の近くの招魂社には、総天然色と言うやっこが住んでいた。
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厳島神社を抜けて、伝馬町の小松屋さんの角から裁判所へ行く道に出る。
変形の十字路を歩くと庄内三十三観音の光国寺さんへの道につながる。
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地持院さんも弁天さんもしかり観音さんも我々の遊び場だった。
なおも進む。
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料亭が並ぶ台町に向かう。
左が現在相馬樓(元料亭相馬屋)で、右が料亭香梅咲だ。
この小路に向けて相馬樓に格子の窓が着いている。
その昔、料亭が賑わっていて、外に三味線弾きが現れると、この窓からお客さんが声をかけて、外で弾く三味線の音色を楽しんだ。
昭和の時代なら、ギターの流しと言った所だろう。
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台町の通りから観音さん方面を見る。
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香梅咲の門に着く。この料亭には梅の木が沢山あって、そこで収穫した梅酒でいつもは乾杯する。
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玄関の中から手を降っている人が居た。思わず手を振り返すと、相手は女将さんだった。
女将さんはなかなかの美人だ。
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