大阪水曜ほっと集談会一世です。
今日は朝から弟の月命日でお寺に出かけていました。
そこで元気で豪胆な知人の急な手術、入院の知らせを聞いてびっくりしました。
昨年末からおなじ60代の知人が急死されたり、親族が倒れたり、自分自身も転倒したりと否が応でも年齢を意識することが増えました。
出来るときに出来ることをやっておきたい、日々そう自分に言い聞かせています。
昨日このブログを投稿してから早速地元で発達障害の自助会を五年ほど前から運営されている同年代の代表者の方と、コンタクトを取らせていただきました。
症状の違いは別にして何かしらコラボ出来ることはないかと模索していることをお伝えしました。
最近大人の発達障害に関する相談が、かなり増えているそうです。
一回の対面のセミナーに対して40名位の方が、集まると伺い、とてもびっくりしました。
発達障害については、専門書や動画も配信されていますので素人の私が中途半端に申し上げることはありません。
今更ながら程度の差はあれ、自分にも当てはまる特性を感じます。
- 興味のあることに関心が集中する
- こだわりが強い
- 感覚が鋭い
- 人付き合いに困難を感じてきた
- 忘れ物やなくし物が多い
あらためて発達障害について少し調べてみました。
1963年にアメリカ公法の正式な用語として、初めて発達障害という概念が記述されることになったそうです。
私の生まれた年代とほぼ同じです。
意外ですが発達障害とは医学用語ではないそうです。
私がこの言葉を頻繁に耳にするようになったのは、この10年位前からでしょうか?
2005年4月1日に発達障害者支援法という法律が施行され行政のサポートもかなり充実している印象を受けました。
長らく日本人を支配してきた精神主義からようやく解き放たれ、この発達障害の概念が定着してきたのかもしれません。
生きづらさに科学的なメスが入ったと言えるかもしれません。
これは、精神医学界だけではなく、スポーツの世界にも当てはまります。
あらゆる分野のスポーツ競技で世界に通用するアスリートが誕生しているのも、根性論ではなく、スポーツドクターのエビデンスに基づく身体トレーニングや自律神経を軸にしたメンタルトレーニングの賜物だと思われます。
神経質症状は、主観的なとらわれであり、障害でないので支援の対象にはならないのかもしれませんが、
行政のメンタルヘルスの窓口やサイトに森田療法や生活の発見会の告知が無いのが、私には誠に残念でなりません。
私自身、森田療法を学ぶ自助グループ活動を通じて、漠然とですが抑鬱や不安などの症状に対して、神経質気質以外に、ブラックな職場での過剰適応による適応障害や、発達障害の要因もあるのではないかと、かなり前から感じていたのです。
そうであるならば、個人の認識の誤りとして全てを背負わせるのは酷と言わざるを得ません。
他の自助グループとの交流を通じて、私達の活動を客観視できたらと思う一世です。
2024/05/10 一世