大阪水曜ほっと集談会一世です。
おはようございます。
今日からいよいよ職場復帰です。
不安なまま今から出勤致します。
昨日は、朝から病院や復帰の準備でブログをアップできませんでした。
それにもかかわらず多くの方に過去の拙いブログをご覧いただき感謝の気持ちでいっぱいです。
なので、今日は夜にもう一回投稿をさせていただきます。
さて以前にご紹介しましたが、実業家で京セラの創業者であられた稲森和夫氏の、人間にとって成功ですら人生の試練であるという言葉がとても心に残っています。
今日は神経質であっても神経質でなくても人生は試練であるということを書きたいと思います。
新聞や情報番組を見ていますと毎日のように、政治家の不祥事や怒りにまかせた凶悪事件や交通事故などを繰り返し目にします。
先日も幼いお子さんが踏切事故で亡くなりました。
以前から危ないと誰もが感じていたのですが適切な処置がされなかったのです。
それらを見るたびにもう少し神経質が働いていたらという思いを常に抱いている私です。
ちょっとした注意や自己内省が働けば避けられたのではないかという思いがしています。
神経質のとらわれは確かに人生の大きな苦しみ、試練です。
しかしながら、神経質でないこと、自己内省が効かないこともそれはそれで大きな試練ではないかと思う一世です。
※今日の森田博士の言葉
要するに臆病はそのまま思いきりもっぱら臆病し、心配はそのまま心配すれば、臆病し心配しないようにという煩悶がなくなり、一方には自ら欲望に対する成就の工夫が活動するようになり、苦痛の自覚がなくなるのである。
これがわれわれの体験における精神的事実である。
2024/05/01 一世