
大阪水曜ほっと集談会一世です。
自助グループで長く活動していると残念ながら森田理論にとらわれる人を、随分たくさん見てきました。
なぜそうなるのでしょうか?
ところで最近、野菜の浅漬けにはまっている私です。
なすびにきゅうりなど野菜を適当に切って浅漬けのもとを入れてジッパーのついた、ビニール袋に入れる。
そして冷蔵庫で、ひと晩寝かすだけです 。
無精者の私にはぴったりです。
不謹慎ながら、森田理論と野菜の浅漬けは、似ていると思っています。
浅漬けは、浸かりが浅いと野菜そのものを、味わえない。
浸かり過ぎると、色褪せて塩分がきつく、美味しくないのです。
如何なる理論も、ハマリ過ぎると、それに固執してとらわれる。
私は森田療法を理論と捉えたことは唯の1回もありません。
理論はそれが、どれほど素晴らしくても、それを使って〇〇をしようとなると、あるがままからどんどん離れていくという認識です。
若い頃に読んだある数学者のエピソードを思い出しました。
数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞を受賞された元ハーバード大学の広中平祐名誉教授がこのようなことをかつて言われていました。
自分の理論が数学界でbeautiful(美しい)と称賛されたことでそれにこだわるあまり、行き詰まってしまったというお話でした。
さらに一旦自分の理論をフラットにしてそこから考え始めると、自分の数学理論が生まれたというお話でした。
数学のことは全くわかりませんがこの話を聞いた時、森田も同じではないかと思いました。
どうしても自分の森田にとらわれる、自分の森田に誘導しようとする。
これはよっぽど気をつけておかないと陥ってしまう誤りなのです。
そこはその人の品格があらわれると思います。
どんなに理論やスキルに精通しても自分をわきまえることが大切なのです。
私は現在の仕事を.30年以上やっているこの分野でのスペシャリストですが、いつもお客様を前にして気をつけてきたことがあります。
目の前のお客様には自分のキャリアやスキルをなるべく見せない、捨てることです。
そうしないと目の前のお客様の本当に求める物が見えない、心の声が聴けないからです。

2024/05/26 一世