
大阪水曜ほっと集談会一世です。
おはようございます。
朝から貧乏自慢で失礼します。
先月は、骨折による休職で、ほとんど収入がなかったトホホの私です。
初夏のようだというのに、
配偶者の視線が真冬のように冷たく感じられます。
現実にはここまで貧乏ではございませんが、かなりの緊縮財政の我が家です。
最高の治療薬?
貧乏暇なし?
何やねんそれは?
森田療法を学び始めて苦節45年、ついに私が悟ったことです。
休みになると体調が悪くなり時間があると余計なことを考えてしまう私です。
貧乏だから嫌々ながら仕方なく働く、暇がないから余計なことを考えずに済む、これって本当に素晴らしいことなのです。
さて病気ではないと言われる神経質のとらわれですがときには病的な状態になることもあり、治したい、あの人のようになりたいという思いは自然ではないかと思います。
しかし自分はあの人と違うから治らない、自分は特別であると思っている間はなかなか症状の改善が見られません。
かつての私も他人の長所と自分の短所を比べて、落ちこんでましたが、最近は人をうらやむ気持ちが随分減った気がします。
差別観からの開放は、時間が掛かり容易ではありませんが、森田の学びにより、いつの間にか少しづつ身に付くところもあると感じる一世です。
仮に神経質症状がなかったとしても、人生には背負うべきものが人それぞれにあるのです。
※今日の森田博士の言葉
ちょっと話は変わるが、この会でも、また私の家でも常に元気のよい全治者を見ることができる。
こんなときにも、ただ素直に従順に、これにあやかりうらやみながら、自分も治ってみたいと思って、じっと見ていれば、自然にその気合に感化・薫陶されて自分も治るようになる。
これに反してあの人は偉い人であるからであって、自分はそれとは違う、先生の診断の間違いかもしれぬ、とひねくれる人はなかなか治らない。
いたずらに治るとか、治らないとかいう文句にとらわれないで、ただ静かに、その治った人の顔を、陰の方から人知れず眺めていさえすればよい。

2024/05/27 一世