「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

2月19日(水)14時~・2月18日(火)20時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

優しさに包まれたなら!

2024年04月24日 06時32分45秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会、一世です。

今日のタイトルはジブリ映画、魔女の宅急便の挿入歌でもある優しさに包まれたならからいただきました。

私と同世代の60代以上の方はファンの方も多いと思いますがユーミンこと松任谷由実さんの楽曲です。

さて以前、会場が一体となってこの優しさに包まれた体験をした私です。

ウクライナ出身の歌姫ナターシャ・グジーさんのコンサートで感じたことです。

750席収容のホールは、ほぼ満席でした。

舞台はスポットライトが一つとバンドゥーラという民族楽器というとてもシンプルなものでした。

そこにヴィシヴァンカと呼ばれるウクライナ刺繍の民族衣装を纏った、歌姫ナターシャ・グジーさんが登場すると大きな拍手に包まれました。

彼女は6歳でチェルノブイリの原発事故により被爆、今から約22年前ウクライナから日本に来られました。

流暢な日本語と笑顔からは過酷な人生を感じさせない彼女ですが透き通るような歌声の中に憂いを感じたのは私の思い過ごしだったのでしょうか?

彼女はウクライナと日本の架け橋になりたいと数多くのウクライナ支援プロジェクトをされているのです。

戦争と神経質症状これはまったく異質なものですが、人は皆生きている限り何かを背負っているのです。

人と人とが互いに支え合うこと、助け合うこと、これは理念こそ違いますが、私たちの自助グループにも通じるものがあります。

おこがましいですが私も森田療法を知らずに苦しんでいる神経質者と私たちの自助グループの架け橋になりたいと思っています。

今後私たちの自助グループもこのような他の心の問題を扱うプロジェクトやイベントとコラボできる日が来ることを私は密かに願っているのです。







2024/04/24 一世

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自分の居場所と犠牲心の発動!

2024年04月23日 17時02分01秒 | コラム 



大阪水曜ほっと集談会一世です。

先日ブログをお休みしたので、今日もう一回投稿します。

失敗しても、サボっても良いのです。

どこかで調整すれば、よいのです。

森田博士の言葉の中で、好きな言葉はたくさんあります。

その一つは犠牲心の発動という言葉です。

これは、誤解されることが多いのですが、森田博士は例えば努力即幸福にしてもそうですが、努力しなさいとか、人に奉仕をしなさいとかそういうことを、いわれているわけではないのです。

一言で言いますと神経質症状からの回復の過程に起こる心のありようを表現されているわけです。

治るプロセスの中で、犠牲心が生まれたり純なる心が芽生えたり、幸福感に包まれたり、そういうことがあるよと説かれているのではないかと思うのです。

それを何か教条主義的に広めてしまう、一部の人たちに警鐘を鳴らしたいと思います。

さて今日はそのようなテーマではなく、自分の居場所は自分で創るということをお話したいと思います。

私は子供の頃から、両親に貧乏人のボンボン育ちとよく言われました。

つまり人への配慮や感謝が足らないということです。

これは私だけではないと思うのですが小さい頃から成績が良かったりして、周りがいろいろお膳立てをしてくれて当然、居場所が努力せずに得られるという錯覚が少しありましたね。

逆に自助グループでは、親御さんが立派すぎて抑圧されたり、萎縮された方もありますが、、、

自分の居場所が努力しなくても手に入ってしまう、または努力しても常に否定されてきた、両極端ですよね。

家族だけが対象のうちはいいのですが、学校や社会人になるとそういうわけにはいきません。

いわゆる、空気が読めない人になってしまうのです

世間での暗黙のルールがわからないと対人関係がうまくいかなくなったり、自分で自分を追い込んでしまったり、常に人との関係が不安になり挙句の果てには広場恐怖症になったりする人もいます。

これも元を正せば人間関係の小さなルールを理解してないことからくることが多いと思うのです。

森田博士はそのような私たち神経質者に対して神経質を活かした人間関係の見えないルールを丁寧に教えてくださっていると思うのです。

私は過去に不器用ながらでも趣味のサークルや、奉仕団体など、その集まりに長く参加してみることで認知されその会での大切な役割が与えられた経験があります。

しかしながら、未だに配偶者への微妙な空気が読めずトホホな一世です。



※今日の森田博士の言葉

神経質が、種々の症状に悩むのは、その限りなき欲望に対する過渡期であり、終には悟りに達すべき迷妄の時期である 。



2024/04/23 一世

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森田の力、アニメの力!

2024年04月23日 06時10分33秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

先日アニソン総選挙というのがテレビで放映されていました。

最近はあまりテレビを見ませんがとても面白かったです。

日本のアニメが、これほど世界に影響を与えているのかとうれしくなりました。

以前大阪市内の地下鉄で中国から観光で来られた若者に話しかけられたことがありました。

片言の英語でなぜ日本に来たのですかと、聞いてみたところ、やはりアニメの影響だという答えでした。

思いつくままに日本のアニメのタイトルを告げると、彼はとてもうれしそうな顔をしました。

私たちの自助グループの機関紙である発見誌に、最近hitominさんがパニックな私の森田な日々を掲載されています。

毎回楽しく読ませていただいております。

若い会員の方が新しい発想で発見会アプリを開発されたりアニメで森田療法を語るなど、とても頼もしい限りです。

今私にとって世界に誇る日本の代表的なものは、独断と偏見ですが、アニメと森田療法だと思います。

森田療法マニアの私です、対象は違いますがアニメオタクの人の気持ちが少しはわかるつもりです。

私が子供の頃ポパイやトムとジェリーなどよく見ていたのと同じような感覚で世界の若者たちが日本の進撃の巨人やドラゴンボールやワンピースなどを見るのですね。

国境や世代を超えて素晴らしいものは素晴らしいと思えることがとても嬉しいのです。

森田博士も、エスペラント語を使ってでも世界に森田療法を広めたいと思われていたそうですが時代が少し早すぎた感があります。

その思いは確かに引き継がれ、アジアはもちろんヨーロッパ、アメリカの一部の人たちには、森田療法は知られています。

半面、日本国内でも、ほとんど知られていないという現実があり、忸怩たる思いです。

どうすればこれを打開できるのでしょうか?

日々私はそのことを考えています。




2024/04/23 一世

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雑多な体験とイチロー選手の言葉!

2024年04月20日 07時04分56秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

無駄なことをしないと、合理的になれない。

これは、元メジャーリーガーのイチロー選手の言葉です。

ところで私が現在の自助グループに、初めて参加した頃、こういう話をよく聞きました。

神経質者はとても理知的であるが、雑多な体験が不足していると。

そのことを鮮明に覚えています。

雑多な体験とは何か、今から思えばよい意味での無駄だと思うのです。

以前にも投稿しましたが神経質症状とはある意味で合理性の追求という認識を私は持っています。

振り返って思うのはなんでこんなことをしなければいけないのか、こんなことに何か意味があるのか、そう思って取り組んだことが実は大きな意味を持っていたことに気がつくのです。

森田博士が、何かと理屈に偏りやすい神経質者に対して、日々の生活の雑事を大切にするよう指導されたことは当然なのです。

無駄と思える体験のもうひとつの意味は発想の転換です。

何か自分が非効率なことをやってるなと思った時ほど大切にしてほしいのです。

そこに自分が本当に興味を感じること、やりたいことが隠れている可能性があるのです。

本当の自分と向き合う時間を大切にしてもらいたいと思います。

無駄なことを嫌う、安直に生産的なことや効率的なことのみを求める、このような傾向に対して、森田博士は.とても手厳しいです。

※今日の森田博士の言葉

普通の人は、自分の人生の目的のために、なるたけ細かく苦労することを当然のことと承知のうえでやります。

なのに神経質は自己中心的に、知恵の廻りが良すぎるために、自分勝手な都合のいいことを考えだすのであります。

すなわち自分の人生を完全にしようとする大望を持ちながら、しかもそれを安楽に取り越し苦労なしにうまくやろうというずるい考えを起こします。

たとえば苦労せずに金持ちになろうとするのと同様です。

強迫観念にかかっているものは、自己一点張りのためにけっしてこのことに自分で気がつかないのです。



2024/04/20 一世

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森田と骨折とネガティブケイパビリティ!

2024年04月19日 16時52分34秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

午前中は病院に缶詰で、ブログの投稿が今になりました。

主治医より順調に回復しています、と言われ安堵しました。

さて、いつも思うのですが長いタイトルです。

森田療法のことを書きたいそして骨折のことも書きたい、ネガティブケイパビリティについても書きたい、結果このようなタイトルになります。

この一点を取ってみても神経質性格がよく表れていると思います。

さて森田療法の本質とは何でしょうか。

一つには、症状、とらわれと、呼ばれるものとの共存があります。

つきつめれば、「答えの出ない事態に耐える能力」を獲得するプロセスと言えるでしょうか。

更に言えばネガティブ・ケイパビリティそのものを生きるということかもしれません。

森田療法家でもあられる帚木蓬生さんのネガティブケイパビリティからは多くの示唆をいただきました。

思うようにならない、先が見えないそのような不確実さの中で生きていくのが私たち人間の本来のあるべき姿ではないかと、思うのです。

SNSにより情報が溢れ、すぐに答えが見つかる時代です。
それゆえに仮想現実と現実との境が曖昧になり迷いを深めている気がします。

この度の骨折により奇しくも不自由な生活を強いられるようになったわけですが結果として良かったと思います。

負け惜しみではなく今後の老いと向かい合う生活に一つの方向性が見えたような気がします。

改めて直線ではなく、螺旋状に生きるということを考えています。

また一見マイナスに見えることの中にも必ずプラスが隠れていてそれを見つけるためのサポート力を森田療法並びに自助グループの仲間が与えてくれていると感じます。

不自由さの中に身をおくと自分自身がよく見えてくると思います。

順風な時には決して見えなかった、さまざまな光景を楽しんでいる一世です。



2024/04/19 一世

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