浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「御垂訓」

2020-02-07 00:20:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 十七

「正しく定に入るべし」

先の続き・・・

その時、もし羽があれば飛んで帰ってでも土下座して母に
お詫びがしたいという気持ちが湧き上がってきました。
しかし羽はありませんし、帰れないので、
すぐ電話をさせてもらったのです。
電話の向こうで「もしもし」という母の声を聞いたとたんに、
心は幼な子に返っていました。

私は子供の頃、母を「おかあちゃん」と呼んでいたのです。
電話でその声を聞いたとたんに、
「おかあちゃん、堪忍してや」といったまま受話器を持って
ワンワン泣いてお詫びしていました。

母親の愛というのは有難いものです。
突然電話に出て、幼い頃の呼び方で「おかあちゃん堪忍して、
おかあちゃん堪忍して」と泣いたら、
「お前、頭は大丈夫か、頭がどうかなったのと違うか」と
気遣ってくれます。

「僕は幼い頃から親不孝ばかりしてきました。どうぞ許して下さい」
と言いますと、「頭は大丈夫か」と尋ねられたのです。
「私の言っていることは頭がおかしいように聞こえますか」と聞くと、
「いや別におかしゅうはないけどな、いい歳をしてそんなに泣くな」
親というものは何を知っても心配して下さいます。
次には、どうしようもない罪深い己自身の姿ですね。

その時、今反省させてもらっている自分の意識でもって、
幼い時の悪ガキの己自身に対して、
「やさしい提言」を与えなさいと教えられました。
優しい提言といいますと、これは難しいことです。
つまり自分に、慰めと励ましを与えなさいということです。

「あなたは幼い頃から、これはしてはいけない、
これはしてもよいことをよく知っていました。
それなのに親に嘘をつき、他人の山へ竹を盗みに入って、
自分の大事な肉体に傷をつけて、
あなたはほんとうにいけない子です」というように、
自分を責めることしか思えないのですが、
「今度はがんばりなさい」と励ますのです。

私たちの思いにおいて、
「人様には寛大に、己には厳しく」という生き方が基本にあって、
自分を許すことは、自分に甘くなることだと思い込んでいましたから、
自分には厳しくして、
人を許してもいいけれど自分を許してはいけないと思っていたのです。


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