~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 十七
「正しく定に入るべし」
先の続き・・・
私はいくらやってもできないから、もう諦めたのです。
諦めてごろんと転がって、
「私のような者が心に法灯を頂くというような
大それたことはありえないことだ、それは心の綺麗な尊い方だけが
できることである」と、完全に心から捨てました。
捨てるまでにはもういやという程、己を見詰めたのですが、
どうしてもできないのです。
そして天を見ていると、木陰の葉こぼれの光彩がずっと入ってきて、
その何ともいえない光を見ていると、
「あんなふうに光を頂けたらいいのになあ」とまた欲が湧いてきて、
もう一回起き上がったのです。
しかし自分ではもうどうしようもない、
もしも守護霊様が私についていて下さるのならと思って、
「守護霊様、私はどうしてもできません。どうぞ
正しい反省の仕方というものを私に教えて下さい」と言って、
一生懸命お祈りしたのです。
その時、ほんとうに不思議なことに右前方の手の届く辺りに、
私の幼い頃から四十半ばまでの間の自分の姿が映し出されて、
みんな見せていただけたのです。
それこそ立体的で、
その当時のありのままの姿・行動・出来事などが見えました。
どのくらいの時間が過ぎたか分かりませんが、
あまり長い時間はかからなかったと思います。
まさに意識の世界は時間、空間、距離というものとはいっさい
関係がないということをはっきりと分からせてもらったのです。
その自分の姿はまた何ともいえない哀れなものでした。
自分に与えられた環境の中で、
「ああしたい」「こうしたい」と思いながらも
どうすることもできない柵(しがらみ)にがんじがらめになりながら、
必死に生きている姿を、まざまざと見せられました。