~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 十八
「この時に神仏の心と己の心が調和され
心に安らぎを生ぜん心は光明の世界に入り
三昧の境涯に到達せん」
先の続き・・・
私の場合は、お陰様でいくら多くの方を癒させていただいても、
相手の苦しみを受けることはないのですが、なぜ受けないかというと、
無我の心で、自分という我を捨てきった心で癒させてもらうからです。
この心さえ持っておれば、
相手から病や苦しみを受けることはないのです。
これは治療に携わる者だけでなく、日々の生活においても同じことで、
「自分がしてあげた」という思いを持たないことです。
これは難しい考え方ですけど、
「神様が私を使って他のために働いで下さるのである、
私がしたのではない」と、思わせていただいたら、
その時は相手から苦しみを受けることはありません。
これは原因結果の法則から何ものも逃れことはできないということです。
今、苦しみがあればその苦しみは何か知らないけど、
過去に原因があったから、今結果として苦しんでいるのです。
自分さえ良ければ人はどうでもよい、人に尽くすこともなく、
人に親切にすることもない、
こういう人は裏切られることはないから案外心を苦しめることもなく、
却って幸せのように思えます。
しかし、
こういう生き方をすれば何らかの形でその家庭は破壊していきます。
他に冷たくて思いやりもなく、
人に後ろ指を指されながら隆盛にいっていたとしても、
親子三代続いたという家は一軒もないはずです。
なぜかというと、人々と互いに手を取り合って助け合い、
調和を目的として生まれてきた者が、目的を果たさず、
神仏との約束を果たしていないからです。
だから、そんな生き方をする者はいつまでも続かないように
なっているのです。
「親の因果が子に報い」というようになっています。