浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「御垂訓」

2020-02-14 00:20:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                 講演 十七

「正しく定に入るべし」

先の続き・・・

私が教えの習いたての頃に、こういう話を同業の人にしたのです。
すると、ある人が、「長尾さん、殺生なことを言うな、
思うことぐらい自由にさせてほしい。
私は友達の嫁さんが好きで好きで、晩になったらその人のことを
思うのが楽しみだ。思うことぐらいなら構わないだろう」と言うのです。

それで、私は、「いや、思ってはいけないそうです。
心の中でもしその人のことが好きだと思ったとしたら、
それはすでに姦淫を犯しているそうです」と言うと、
「何もしていないのだから構わないだろう、
なぜいけないのか教えてくれ」と言われるから、
「まず、奥さんを裏切ります。心の中で裏切っています。

あなたを信じ、
あなたを立派なお父さんと思っている子供さんたちをすでに
裏切っているのです。
また、友達に対してあなたは盗みをはたらきました。
そのお嫁さんを思うことは、もう盗みをはたらいたことです。

最も危険なことは、
もし何かの縁によってあなたとその奥さんが
二人きりになるような機会が訪れた時、
あなたが何とも思っていない場合は間違いは起きませんが、
しかし好きだと思っていて二人きりになったら、
これはただではすみません。

だから、その思いは正しくないのです。
思いを正さなくてはならないそうです」と、
教えてもらった通りに話しましたところ、
「なるほどそうだな、私もあまり思わんようにしよう」と、言って
いただいたことがあります。
 
思いは縁に触れたら、それが行動となって現れる場合が起きるから、
正さねばならないのです。
もし現実にそうなった時、今度は苦しみが生まれますから、
思いはできるだけ正すことです。
それは必ず形となって現れるからです。

思うことで、他に迷惑をかける場合はたくさんあります。
憎い人があって、「ほんとうに憎いなあ、
あんな奴は死んでしまえ」と思った時、
すでに心の中で殺人を犯したことになります。
たとえ相手に聞こえなかったとしても、
これは言葉として口に出さなくても、
思いとして立派な殺人を犯したことです。

言葉についても同様で、常に正しく語らなくてはいけません。
口を開けば、
必ず相手に喜びと安らぎと希望を与える言葉を言うように心掛け、
それ以外の言葉はいっさい不要です。
その時、言葉の災いから自分を守ることができます。
「正しく定に入るべし」が、とんだ寄り道になりましたが、
これも定に入る一つの反省の例でございます。
皆様も参考にしていただけたら結構かと思います。
「心行」も大詰めとなりました。
長い間、ほんとうによく聞いていただきました。


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