浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「御垂訓」

2020-02-28 00:09:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真は恩師のご講演中のものを学びの友の方が
カメラに収めたものですが、御覧のように恩師が
幽体(肉体)離脱をされています。
被写体全部が移動していますと、カメラのブレと思われる方も
おありかと思いますが、御覧のように恩師の前の演台は少しも
ブレていません。
このお写真について、恩師ご自身が後のご講演で
幽体(肉体)離脱であることを説明されておられました。


~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 十九

先の続き・・・

私たちは今、ほんとうに正しいご縁をいただきました。
ほんとうに正しい教えとは、
高橋信次先生を縁としての正法だったのです。

先生は講演の時、大きな縦長の垂れ幕を垂らして、
「釈迦・イエスの教えの原点に還れ」と書かれていましたが、
釈迦・イエスの教えの原点こそ正法だったのですね。
今の数えきれないほどの多くの宗教は、
お釈迦様がお説きになった教えとは似ても似つかないものに
変わっております。

今の仏教とは、まず京都のお寺などで見られるような、
お客がお金を払って入る観光寺院と、
もう一つ、私たちに切っても切れないお葬式です。
お坊様といえば葬式、葬式といえばお坊様が
必要不可欠の存在になっています。

まず人が死ねば枕経、葬式のお経、火葬場でのお経、
お骨をあげに行った時のお経、
お骨をあげてお寺へ帰ってきてからのお経、
死後七日ごとに四十九日までのお経、むかわりのお経、そして、
あくる年がまわってきて三年のお経、七年のお経と続きます。

「お前死んだらわしゃうれしい、七日七日に米五合、
むかわり三年、また七年」といわれています。
一人死んでくれたら次々とお布施が入るわけで、
昔はお布施は米五合を供えたのですね。


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