浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「御垂訓」

2020-02-29 00:28:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
 

                講演 十九

先の続き・・・

四国へ行かせてもらった時、
そこの主人はお坊さんとよくカラオケにいくそうです。
そのお坊さんが、「どうも不作でいかん。
もう少し死んでくれないかなあ」といつも言っているというのです。
死んでくれないと収入がないのです。

お釈迦様の当時はこんなことは絶対になかったのです。
お葬式に出家された方がお参りするということは絶対にありません。
お坊さんはお葬式とはまったく関係がない存在だったのですね。

お釈迦様の死が近づいた時、側に仕えて世話された阿難さんが、
「仏陀が亡くなられた後のなきがらはどのように
したらいいでしょうか」と尋ねると、
「そんなものはそこらに放っておきなさい。

肉体は在家の者が適当に処置するであろう。
肉体にかまうよりも、しっかりと法を精進しなさい」とお釈迦様は
おっしゃったのです。

今のお坊さんのする葬式というのを当時は在家の者がしたのですね。
それが仏教の原点だったのです。
 
今の仏教というと、お線香をあげて、
難しいお経をあげるものと思っていますが、
ほんとうの仏教というのは、今は無いのです。

形の変わったものが仏教だと思っているだけです。
高橋信次先生は、「仏教の原点を学びなさい」と言われました。
学ばせていただくと「なるほどそうか、
お釈迦様がお説きになったものと今の仏教とはそれほどまで
変わっているのか」ということがよく分かります。


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