~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 十七
「正しく定に入るべし」
先の続き・・・
「えらいことをしたなあ、何と言い訳をしようかなあ」と、
七歳の幼い頭で一生懸命考えたのですが、いい考えが出てきません。
家の近くまで帰って、
私の家と隣の家との間が一メートル近く空いているところへ、
冬の間は田の稲を干す長い木が使わないでかこってあるのですが、
その隙間へ入って、
「どうしようか、どう言って親に言い訳をしようか」と
思いあぐねていました。
他の山へ木を切りに行って、
自分の足を切ったと言えば怒られますから、
何とか逃れる方法はないものかと考えているうちに外が暗くなり、
もう仕方がないから勇気をふるって家の横の入り口から
「ただいま」と言って入ったのです。
「遅かったなあ、今まで何してたのや」と母が聞くので、
「友達の所で遊んでいて怪我をした」と言ったのです。
その時、母は「ちょっと見せてごらん」と言って「こんな汚い布で。
どうして向こうのおばちゃんに言って案配してもらわなかったのや、
こんなえらいことになっているのに、痛かったやろう」と薬を塗り、
新しい包帯をしてくれたのです。
その時、私は大きな嘘をついているのですが、
親はそんなことには関係なしに「ああ痛かったやろうなあ、
可哀相になあ、辛かったやろう」
「友達のお母ちゃんはなんで按配してくれんじゃったろう」と
言ってくれたその事を、ずっと反省させていただきました。
不思議なもので、
三日、四日、五日と坐って一つの事をずっと追求しますと、
その時の場面がほんとうにそのまま出てくるのです。
私が足をパアッと切った時の感覚がはっきりと出てきます。
あの時の肉が裂けたあの感覚がはっきり再現されるのです。
だからほんとうに反省に取り組むと、
その時の状況が詳しく思い起こされます。