~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 十八
「迷いの岸より悟りの彼岸に到達するものなり」
「迷い」とは、この世に生きていろいろな錯覚を起こすことです。
今ある命はいつまでもあるように思いますが、この錯覚が迷いです。
「いつまでもあると思うな親と金」といいますが、これだけではなく、
自分の命もいつまでもありません。
また、この世には苦しみがあって当然であるのに、
この世は楽な世界と錯覚しています。
お釈迦様が諭されたように、
「常に苦しみがあって当たり前の世の中」と、悟ることができたら、
少々の苦しみがあっても当然だと思うことができ、
心は楽になるはずです。
さらに、
不浄なるものを浄なるものと錯覚を起こし転倒してしまうのです。
このように錯覚を起こしていることが迷いです。
仏教ではこの苦しみ迷う世界を此岸(しがん)といい、
悟った向こうの岸を彼岸といいます。
彼岸に到達するには、正しい生活の実践をしなければなりません。
「この時に神仏の心と己の心が調和され
心に安らぎを生ぜん心は光明の世界に入り
三昧の境涯に到達せん」
先日、九州の方から電話で「三昧」の意味について
質問がありました。
「三昧」とは煩悩の炎が消えてしまった涅槃寂静という
心境をいっております。
「三昧」とは元来サンスクリット語のサマーディの音訳で、
仏教では「心を一つの対象に集中して乱れない精神状態」のことを
いっております。
何も念じず、何も思わず、自我を滅した心境、
こういう心で私たちは生活することができます。