~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 十八
「この時に神仏の心と己の心が調和され
心に安らぎを生ぜん心は光明の世界に入り
三昧の境涯に到達せん」
先の続き・・・
そこで、よいことをして不幸にならない方法は、
徹底して善い行いを積ませてもらって、
「これは私を通して神様がして下さっているのだ」と
思うことです。
そうすれば、腹の立つ部分も少なくなります。
もしも、善き行いをしながら自分の心を苦しめた方は、
その苦しみの結果を必ず受けます。
しかし、神様が自分を通して相手を助けて下さったと
思わせてもらった時は、たとえ相手が裏切ったとしても、
その裏切りの行為は神様に対して通じていくわけです。
途中で自分が腹を立てたら、神様のところへ行かないで、
自分が苦しみを受けるから不幸になってしまいます。
いっさいの望む心を持たないことです。
いっさい求めず、自分の善き行いは他に委ねること、つまり、
神様が私を通して善き行いをさせていただいたのだと
思えばいいのですね。
その時、人は案外裏切らないそうです。
それは、神の愛を受けるから裏切らないのです。
人間には、「私がしてやった」と、恩にきせたがる心があります。
これも凡夫の心です。
恩にさせられたら、どんなにいいものを貰ったとしても
有難くないものですが、
ましてや小指の先ほどの苺や出荷したあとの小さいへた芋を
人にやって、「あそこの家へやった」と言いふらしているのは、
そんなものでさえ恩にさせたがる凡夫の心を見る思いがします。
「させていただく」と、「してやった」という心では、
全く天と地ほどの違いがでてきます。