浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2020-02-10 00:20:36 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 十七

「正しく定に入るべし」

先の続き・・・

この話しもよくしますが、小学校一年生の秋のことです。
秋の取り入れで稲刈りをして干し、
乾燥すると田圃の真ん中に茣蓙(ござ)を敷いて脱穀をするのです。

干してある稲束を脱穀する場所まで運ぶと、
父が足踏み機でギコギコ脱穀しては済んだ藁を
後ろに放っていくのですが、その時、
積んである束を父に渡すのが私の役目でした。

この稲束を一つずつ父が最も受け取り良いように渡しますと、
父はザァーと脱穀してパッと後ろに放ります。
すると次の束を渡さなくてはいけないのですが、
父の手許の受け取り易いところへ持っていかないと
「何をしているのか」と怒られます。

父のしやすいように次々と渡していくのです。
こうすれば一つ一つ取る時間が節約できるわけで、
父の体も少しは楽になります。

その田圃のすぐ近くは堤防でその上は平地になっており、
友達がきてワイワイ遊んでいるのです。
私はちょっとおませでして、もう好きな女の子がいたのですね。
「あの子、可愛らしいなあ」と、まあ、私の初恋でございます。
その子もいっしょに遊んでいるので、私は行きたくてたまりません。

「男女の愛は苦しみである」と、よくいったものです。
神の愛、アガベの愛に苦しみはないのです。
けれども男女の愛には必ず苦しみがつきます。
その女の子の側へ行きたい行きたいと思っているのに行けない、
友達は楽しそうに遊んでいるのに私は稲束を渡さなくてはいけない、
その時の辛かったこと。

そのうちだんだん日が暮れてきて、友達は皆帰ってしまいます。
その子も帰ってしまいました。
私は涙をポロポロこぼしながら稲束を渡していたのです。
父が、「お前、何泣いてるのか」と、
私の気持ちも知らないで言うのです。
もし私の心を知ったら、お父さんは腰を抜かしたかも知れません。
小学校一年生で好きな子がいるなんて、
まあ、私は泣きながら叱られながら
稲束を渡したものでした。


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