今、を生きるということ
たった今、メールである方がお亡くなりになられた、というお知らせをいただいた。
その方は
昨年、ちょうど一年くらい前に
その方が主催する会で私に<孫文と梅屋庄吉>の講演の機会を下さった方だった。
そんなにご高齢でもなく、
講演会の後の飲み会でも楽しそうにお酒を召し上がれていて、
一緒に
杭州を旅しましょう、と約束もしていた。
7月にメールでお誘いがあった時に、私は別の出張が入っていてご一緒出来なかった。
その時に<また、今度。>という言葉を使った。
でも、その<また、今度。>は来なかった。
<いつか出来たらいいね。>
<いつか行けたらいいね。>
<いつか行ってみたいね。>
その、
あいまいな<いつか>というのは
来ないかもしれない。
だから、私は
可能な限り、行ってみたいところに行ってみる。
可能な限り、会ってみたい人には会いに行ってみる。
そして、そのあいまいな<いつか>という言葉は、
あまり
好きではない。
毎日、忙しく過ごしているうちに時間は過ぎ
一年はあっという間、という言葉を良く口にする、あるいは
耳にするけれど
<時>を生きることについて
実は本当に
すごい偶然の重なりで、ありがたいことだということを
感じながら
大切にしたいと改めて思った。。。
私は特に曽祖父 梅屋庄吉関連の活動をしていて
さまざまなプロジェクトが持ち上がり、
実際に成ったものと、
成らなかった幾つかのものがあった。
成ったプロジェクトに関して言えば
その時、その人が、そこにいなければ
成らなかった。。。ということである。
つまり、いつでも、誰でも、出来ることではなく
すごい偶然で引き合わされたメンバーが
そこに思いを同じく出来てはじめて、
形になるのであって、
そこにその誰かが欠けても、形にはならなかったとつくづく思う。
だから、
同じ思いを抱いて、引き寄せられた目の前に現れた人を大切にしたい、と思うので、ある。
その人が
いつまでも、目の前にいるわけではない。
今、
大切にしなければ・・・。
だから、
私はそのあいまいな<いつか>という言葉が
あまり
好きではない。
桜の花の季節は
母が天国に行った季節でも、ある。
母は私にとって
この世で一番、ココロも姿も美しい人であった。
ココロが美しすぎて
にごり水を流すことが出来ず、自分の中にため込んでしまって
リンパの癌になってしまった。
私が子供のころから
母が元気でいた姿はあまり見たことが無い。
いつも身体が弱く、
どこか具合が悪かった。
でも、
いつもとても美しかった。
身体が弱い母は
それゆえにあまり、旅をしなかった。
父は昔の日本の男性なので
自分は世界中の美味しいものを食べて、旅行をしているのに
母を連れていくことはなかった。
母の晩年、
私は小さい息子と母と3人で良く旅をした。
本当はもっともっと
色々なところに連れて行ってあげたかった。
母は
<またいつか、行けるといいね。>
と言っていた。
でも、もう、その<いつか>は無い。
だから私はそのあいまいな<いつか>という言葉は
あまり
好きではない。
今を生きる、というのは
人によっては難しい、と感じることもあるだろう。
世間体とか、
家族とか、
まわりを気にして
自分が
<今>大切にしたい人や
<今>行きたい場所や
<今>やりたいことを選択しない・・・ことのほうが
正しい、
とされている、あるいは思いこんでいるから。
自分が自信を持って
<今>自分が求めているものに正直に生きること。
そうしているうちに
周りの人や世間の言うことなんて
そのうち消えていく。
天国に行った時、
悔いるのは
世間体を気にして
本当に自分が求めていたことをしなかったことだと思う。
ああ、世間様に逆らわずに
周りに波風立てずに
自分の大切にしたい人、自分の大切にしたいものを選ばなくて良かった。。。。とは
決して思わないと思う。
私も母が生きている時には
周りの人の言うこと、
とりわけ家のこととか、考えすぎて選ばなかった、選べなかったことが、ある。
母の死が教えてくれたもののひとつに、
<今>はもうやってこない、ということが、ある。
それからは、
たとえば、周りの人に何か言われても
<今>行きたいところに行ける範囲で行き、
<今>会いたい人に可能な限り会いに行き、
せっかくの大切な時間は
好きな人と過ごしたいと思うようになった。
忙しくても、
本当に会いたい人とは何とかして会う時間は作れるということも
わかった。
だから私は
そのあいまいな<いつか>という言葉が
あまり
好きではない。
・・・突然の、訃報のメールと
咲き始めた桜が母を思い出させて
<今>は
今しかない、ということをあらためて感じた、
午後の、独り言。
たった今、メールである方がお亡くなりになられた、というお知らせをいただいた。
その方は
昨年、ちょうど一年くらい前に
その方が主催する会で私に<孫文と梅屋庄吉>の講演の機会を下さった方だった。
そんなにご高齢でもなく、
講演会の後の飲み会でも楽しそうにお酒を召し上がれていて、
一緒に
杭州を旅しましょう、と約束もしていた。
7月にメールでお誘いがあった時に、私は別の出張が入っていてご一緒出来なかった。
その時に<また、今度。>という言葉を使った。
でも、その<また、今度。>は来なかった。
<いつか出来たらいいね。>
<いつか行けたらいいね。>
<いつか行ってみたいね。>
その、
あいまいな<いつか>というのは
来ないかもしれない。
だから、私は
可能な限り、行ってみたいところに行ってみる。
可能な限り、会ってみたい人には会いに行ってみる。
そして、そのあいまいな<いつか>という言葉は、
あまり
好きではない。
毎日、忙しく過ごしているうちに時間は過ぎ
一年はあっという間、という言葉を良く口にする、あるいは
耳にするけれど
<時>を生きることについて
実は本当に
すごい偶然の重なりで、ありがたいことだということを
感じながら
大切にしたいと改めて思った。。。
私は特に曽祖父 梅屋庄吉関連の活動をしていて
さまざまなプロジェクトが持ち上がり、
実際に成ったものと、
成らなかった幾つかのものがあった。
成ったプロジェクトに関して言えば
その時、その人が、そこにいなければ
成らなかった。。。ということである。
つまり、いつでも、誰でも、出来ることではなく
すごい偶然で引き合わされたメンバーが
そこに思いを同じく出来てはじめて、
形になるのであって、
そこにその誰かが欠けても、形にはならなかったとつくづく思う。
だから、
同じ思いを抱いて、引き寄せられた目の前に現れた人を大切にしたい、と思うので、ある。
その人が
いつまでも、目の前にいるわけではない。
今、
大切にしなければ・・・。
だから、
私はそのあいまいな<いつか>という言葉が
あまり
好きではない。
桜の花の季節は
母が天国に行った季節でも、ある。
母は私にとって
この世で一番、ココロも姿も美しい人であった。
ココロが美しすぎて
にごり水を流すことが出来ず、自分の中にため込んでしまって
リンパの癌になってしまった。
私が子供のころから
母が元気でいた姿はあまり見たことが無い。
いつも身体が弱く、
どこか具合が悪かった。
でも、
いつもとても美しかった。
身体が弱い母は
それゆえにあまり、旅をしなかった。
父は昔の日本の男性なので
自分は世界中の美味しいものを食べて、旅行をしているのに
母を連れていくことはなかった。
母の晩年、
私は小さい息子と母と3人で良く旅をした。
本当はもっともっと
色々なところに連れて行ってあげたかった。
母は
<またいつか、行けるといいね。>
と言っていた。
でも、もう、その<いつか>は無い。
だから私はそのあいまいな<いつか>という言葉は
あまり
好きではない。
今を生きる、というのは
人によっては難しい、と感じることもあるだろう。
世間体とか、
家族とか、
まわりを気にして
自分が
<今>大切にしたい人や
<今>行きたい場所や
<今>やりたいことを選択しない・・・ことのほうが
正しい、
とされている、あるいは思いこんでいるから。
自分が自信を持って
<今>自分が求めているものに正直に生きること。
そうしているうちに
周りの人や世間の言うことなんて
そのうち消えていく。
天国に行った時、
悔いるのは
世間体を気にして
本当に自分が求めていたことをしなかったことだと思う。
ああ、世間様に逆らわずに
周りに波風立てずに
自分の大切にしたい人、自分の大切にしたいものを選ばなくて良かった。。。。とは
決して思わないと思う。
私も母が生きている時には
周りの人の言うこと、
とりわけ家のこととか、考えすぎて選ばなかった、選べなかったことが、ある。
母の死が教えてくれたもののひとつに、
<今>はもうやってこない、ということが、ある。
それからは、
たとえば、周りの人に何か言われても
<今>行きたいところに行ける範囲で行き、
<今>会いたい人に可能な限り会いに行き、
せっかくの大切な時間は
好きな人と過ごしたいと思うようになった。
忙しくても、
本当に会いたい人とは何とかして会う時間は作れるということも
わかった。
だから私は
そのあいまいな<いつか>という言葉が
あまり
好きではない。
・・・突然の、訃報のメールと
咲き始めた桜が母を思い出させて
<今>は
今しかない、ということをあらためて感じた、
午後の、独り言。