Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

Face to Faceのコミュニケーションの大切さ

2012年04月16日 | 波動をあげよう!
Face to Faceのコミュニケーションの大切さ




もうずいぶん前にご退職された外務省の方が

”最近、用事で役所に行くと、
 事務所がし~んと静まりかえっているんだよ。
 みんな、パソコンに向かっていて。。。

 お昼休みなんかもお弁当売り場が大行列で、
 みんな弁当買って、パソコンの前で食べる。

 昔は定時で切り上げて、飲みながら
 意見を戦わせたり、記者仲間と色々な話をする。。。
 ところが、最近は、夜遅くまでパソコンに向かっていて
 飲みに行こう、というような感じがないんだよね。”


と。


そして、同席していた日本を代表する企業のCEOの方も

”だって、隣の人や目の前にいる人に対しても
 メールで話しかけているのが普通ですよ。”と。



私も電話よりメール派、なので
多少苦笑いもありながらも、その会話を聞いていた。







そこで次に

メールでのコミュニケーションが良い場合と
メールでのコミュニケーションによって生ずるさまざまな<ズレ>が話題に。


Face to Faceでのコミュニケーションだったら
相手の顔を観て
言葉を選んだり、フォローしたり、出来るが
メールはそういうわけにはいかない。

儀礼的すぎると親しみを感じないし、
逆に感情的になってメールを書いてしまうと
相手にとっては
目の前で言われるよりも不快感や疑惑が倍増し
修復するのにとても時間を要することになってしまう、のだとか。


たしかに。。。。


最近私もFaceBook愛用者で
コミュニケーションはこういったツールがメインになりつつある。。。

FaceBook上でお互いの情報を共有しているので
実際にお会いしてみると
ぐっと距離が近く、旧知の仲、みたいな感じすら初対面で感じることが
出来るのは
FaceBookのなせる、すご技だと思う。


でも、
本当に会いたいな。。。
会ってお話したいな。。。

と思った相手でも

相手がパソコン上でのやりとりで十分満足している、という場合・・・


わざわざ時間を作って、
ちょっと緊張もして、
もしかしたら少しお金もかかるかもしれないし、
ちょっと面倒くさい。。。


いいぢゃん、
こうしてメールで会話できるし
相手の状況を把握できるんだから。。。。


という理由で、<Face to Face>にたどり着けない。









でも、Face to Faceでなければ伝わらないことって、たくさん、ある。


ある会社の方は
とてもお互いが実際に会って話をする、ということを重要視しているので
出張費はケチるな、と言ってるんですよ、と。


相手が
目の前にいない自分ひとりの世界で
画面に向かって言葉を発するのと


相手がどんな表情をしているのか、
相手がどんな気分でいるのか、
相手のことを
考えたり、思いやったり、

自分の言葉や態度によってのリアクションに
喜んだり
驚いたり
怒ったり
ムカついたり。。。。いろいろな思いをしながらも

お互いが少しづつ理解しあい、一歩前に踏み出していく。。。。


従来のこうした人間関係とは別の、
バーチャルな世界での人間関係で満足しはじめてしまう人がいる一方で

これが原因というわけではないが

<うつ病>もすごい勢いで増えているのだという。








私もメールやFaceBookの愛用者ではあるけれど

本当に会いたい人には
会いに行く。


本当に必要だと感じたら
きちんとつかまえに行く。


パソコンの中だけの会話を飛び越えて

人と人が出会わなければ、

今までの長い歴史の中で繰り返してきた
人、として、
誰かと会い向かう、コミュニケーションをする、という遺伝子が
うまく機能しなくなって行ってしまうような気も、する。



こういう時代だからこそ、

きちんと、

人と出会い、
人に会いにいこう。。。。

そして、
美味しいものを一緒に食べたり、
美しい音楽や映画を観て、一緒にその感動をわかちあったり、
せっかくあふれてくる言葉を
相手になげかけてみよう。


そして、
相手から投げかけられる言葉たちを
全身で受け取ってみようぢゃ、ありませんか。。。。





*桜はこの4月に撮影したものたちです。



与えることが出来る、という幸せ

2012年04月16日 | 見つけたHappyたち
与えることが出来る、という幸せ



今晩の会食の席で、話題になったこと。

不思議に自分のココロと照らし合わせると
まるで無意識に自分がテーマとしていた話題でもあった。

・・・まるで
そのことについて、じっくり考えてみなさい、という
神様からのメッセージような気も、した。







ずいぶん前から梅屋庄吉関連の史料をお見せするお約束をしていながら
長崎に長いこと史料が行ってしまっていて
お約束を果たせずにいた方々がいた。
今日は
その方々にお約束どおり史料をお見せすることが出来た。


そのあと、場所を移動して
夕食をともにさせていただいた。


その席で
2つのことが、話題になった。


1つは
<与えることが出来る、幸せ>について。


そしてもう1つは
<Face to Faceのコミュニケーションの大切さ>について。







”梅屋庄吉さんという人は、一言でいうと
 与える喜びを知っていた人だね。
 与えることの出来る、幸せを感じていた人だね。” とある方がおっしゃった。


見返りもなく
ただひたすらに与え続けることに幸せを感じる、喜びを感じる・・・

これはたったひとつだけ
私にもわかる経験が、ある。


母親になった時のことである。

母体はボロボロなのに、赤ちゃんの顔を見ているだけで幸せで
すべての時間も、自分自身のカラダの栄養も、
おしみなく赤ちゃんに与えいることこそが、喜びだった。


・・・でもそのうち、人、というのはやはり
<見返り>なるものを求めはじめる。

いい学校に入ってほしい、
親孝行してほしい。。。。等々。


親子でもこんな感じなのに
他人に対して
ただ、与えるだけ・・・そのことに幸せや喜びを感じるというのは
やはり
なかなか、凡人には難しい。。。







私がたまに悩むと話を聞いてくださる方がいる。

アイルランド音楽の演奏家、モリヤス氏。

モリヤス氏から<宇宙的恋愛>というタイトルで
返信をいただいたことが、ある。


その内容もやはり
(宇宙的)恋愛とは
相手からの見返りを求めることなどなく
おしみなく自分の愛を与えることが出来ることを、幸せと思う。。。。


というような内容で
私は

”私は宇宙人ぢゃないから、無理。” と返信したことが、あったっけ。。。



与えることが出来る幸せ・・・



それもひと時のことではなく

相手に冷たくされても、
相手に知らんぷりされても、
あるいは
相手に裏切られることがあっても、それでもなお、

ただ愛を与えることが出来ることを
幸せだと思える。。。。


これって、やはり、なかなかたどり着くことの出来ない
大きなテーマ、であるような気がした。



もう一つの<Face to Faceのコミュニケーションの大切さ>
のお話は
次のブログで。。。。



*このブログの桜の写真は今年撮影したものです