今年も3.11が巡ってきました。震災で亡くなられた方のご冥福を御祈りすると共に、今なお復興へ向けて歩み続けている多くの皆様に心からのお見舞いを申し上げます。あの日から、自分は何ができたのか?
わたしにとって、3.11はリアルな経験です。もちろん実際に被災された皆さまからすればその経験はわずかなものかもしれません。それでも自分が経験した中ではいちばん強い地震であり、その後の節電やパニックは実生活に影響しました。
たくさんの情報が手に入るようになった現代ですが、結局のところわたしたちは実際に経験したことからしか学べないものなんだなと思います。
思いを巡らせ、想像することはできたとしても、自分の身に起きるまでは、真の意味で理解することは難しいです。
現在進行中の感染症の問題もそうですが、ある日を境に生活が一変すること、価値観がひっくり返ることって本当にあるもんなんだなぁと…。
平和な時代に生まれ、そんな出来事に自分が遭遇するなんて思いもしなかったけれど、その平和という概念さえ、なんだかあやしい今日この頃。
巡る季節、繰り返される命の営み。
すべての生物の遺伝子に組み込まれた「生き残る」という指令。環境に適応しながら少しずつ進化を遂げてきた生き物たち。
人もまた困難を乗り越え、前へと進んでいけると信じたい。
「共に歩む」。みんなの思いが重なるとき、一人ひとりの小さな力が奇跡を生み出す大きなパワーに変わるんだと思えたあのとき。
あのとき、たしかに本気でそう思えたのです。なんだか今はちょっと薄っぺらな感じにも聞こえます。これが風化というものなんでしょうか?
良くも悪くも少しずつ薄まりつつある記憶。被災から20年以上を経過した阪神淡路大震災にいたっては、被災当時の面影はすっかりなりを潜め、当事者以外の人々の記憶からは徐々に当時の思いは薄らいでいるように感じます。
風化させてはいけないという思いがあると同時に、忘却というおろかさがあるからこそ、私たちは前に進めるのかもしれないとも思います。
今世界で起こっていることに思いを寄せたり、そこから少しでも教訓を得たり、共に歩もうという姿勢をもつことはとても大切なことだと思います。
ここ数年、毎年のように各地を襲う集中豪雨。世界に目を向ければ火山の噴火や竜巻の被害。自然は優しいばかりではないですね。
そのうえ、コロナウィルスの影響で一瞬で様変わりした毎日の暮らし。こんな世の中になると、いったい誰が予想したことでしょう?
今年になって激化したロシアとウクライナの問題。ある日突然、自分の世界が崩れてしまう。むしろこの平和な日々が続いることの方が奇跡なのかもしれません。
その恩恵に預かり、青い空を見て幸せだなって思えることは、本当にありがたいことだったんだと感じられるようになりました。
それと同時に、いまこの時、さまざまな問題を抱えて苦しんでいる人がいるということ。わたしにはその方たちを助ける力なんてないけれど、与えてもらった幸せの分、ほんの少しお返しすることならできるかもしれません。そうやって、少しずつの力が集まって、どんどん幸せが伝染していけばいいのにな…。
募金とか、ボランティアとか、節約とか…。どんなに小さなことだって、何もやらないよりはやるべきなんだと思います(人の善意につけ込む悪もあるので、そこは気をつけなきゃいけないけれど)。
そして、どんな時でも、自分自身が何を選択するかによって人生は大きく変化するということ。平和な日々にいるから言えることかもしれませんが、今の生活の中に、楽しさを見つける気持ちをなくしたくないです。
そんなふうに考えるようになったのは、やはり3.11を経験したことが大きかったと思います。
長い目で見れば、自然災害も私たちの星の環境を作り出している大切な要因の一つ。私たちが生きていく上でなくすことはできません。だからこそ、その被害を最小限に食い止めることが大切です。
そのための仕組みづくりに、最前線でご活躍くださっている皆様に心から敬意を表します。
原発の廃炉プロジェクトも急ピッチで進行し、成果を上げているとのニュースを見ました。緊急時のテレビ放送も、どんどん見やすく分かりやすくなっています。各市町村の災害マニュアルもどんどん進化しているように思います。
そうした情報に目を向けて、災害に備えていきたいと思います。
※自分自身の思いを振り返るため、これまで書いた記事をここに残しておきたいと思います。(ここ数年のものは、この記事にまとめて書いたので割愛)