毎晩ジョニ黒を4分の3くらいは飲んでいます。
1本空けても平気です。
しかし若い頃には自分が大酒飲みになるとは夢にも思いませんでした。
飲み始めたのは高校生の頃です。
私たちの時代の修猷館高校は、煙草だけはダメでしたが、パチンコ、雀荘はOKで、飲酒も黙認されていました。
修猷館から歩いて10分もかからないところに百道海水浴場がありました。
そこに、忘れもしないピオネ荘という海の家が建っていました。
伝統的に体育祭の夜や文化祭の夜は修猷館がピオネ荘を貸し切りにしていました。
打ち上げで酔っぱらって自宅に帰るのは親の叱責を被る危険性がありますので、みんなで泊まり込むのです。
高校3年の体育祭の打ち上げは鮮明に覚えています。
まずは中州のパブのカウンターに10人程で並んで座り、一番安いジンをキープして水割りで飲みました。
飲むといっても高校生ですから、皆チビチビと舐めるだけです。
少々酔っぱらった私は仲のよかった同級生に声をかけました。" 宮崎! 俺はこっちから行く、お前はそっちから来い。 "
二人でカウンターの両側から、同級生の飲みかけのジンを次々に取り上げては一気飲みをし、真ん中で宮崎と握手しました。
そんな調子でしたので、ピオネ荘に引き上げたときはベロベロだったと思います。
それでも、日本酒を冷酒で飲み続け、やがて酒が無くなってしまいました。
私は、今では博多で眼科を開業している大島竜太郎に酒を買いに行こうと提案しました。
二人で西新まで歩き、酒を購入して帰途に就いたのですが、歩いたせいか私が酩酊してしまいました。
人気の無い住宅街の路地で倒れてしまい、身動きがとれなくなってしまったのです。
運の悪いことにはタクシーが通りがかって、クラクションを鳴らすではありませんか。
ところが私には移動する力は残っていませんでした。
大島も一杯一杯で、私を抱えたり引きずったりする力は無かったと思います。
しかし、そこで大島は素晴らしい計画を思いついたのです。
大島は私の体に両手をかけて、丸太のようにコロンコロンと転がし始めたのです。
転がされながら酔っぱらった頭で、私は大島を尊敬してしまいました。
タクシーが通り過ぎた後、大島は一人でピオネ荘に帰り、仲間を引き連れて私を回収に来ました。
なんと、戸板が用意されていたのです。
当たり前ではありますが、戸板で運ばれたのは後にも先にも、その時だけです。
そのまま二階に運ばれて、雑魚寝の布団に寝かしつけられました。
朝方小便に行きたくなって私は目を覚ましました。
しかしトイレは1階です。まだ酔っぱらっている私には階段を下りていく自信がありませんでした。
そこで私は大島に倣って素晴らしい計画を思いつきます。
ピオネ荘は海の家ですから砂浜の上に建てられています。
ですから窓を開けて小便しても、砂地に吸い込まれて何の問題もないと考えたのです。
で、実行したのですが、バランバランと大きな音が発生しました。
砂地では無く、プラスチックが波打ったようなヒサシに小便が降り注いだのです。
その音で同級生が目を覚まし、 " 長谷川がションベンしよる! " と口々に騒ぎました。
この事件は、その後の私の飲んだくれ人生を暗示していたような気がします。
あの時、酒を買い足しに行かなければ、戸板を経験することも無く、もっとまともな人生を歩んでいたかも.....
1本空けても平気です。
しかし若い頃には自分が大酒飲みになるとは夢にも思いませんでした。
飲み始めたのは高校生の頃です。
私たちの時代の修猷館高校は、煙草だけはダメでしたが、パチンコ、雀荘はOKで、飲酒も黙認されていました。
修猷館から歩いて10分もかからないところに百道海水浴場がありました。
そこに、忘れもしないピオネ荘という海の家が建っていました。
伝統的に体育祭の夜や文化祭の夜は修猷館がピオネ荘を貸し切りにしていました。
打ち上げで酔っぱらって自宅に帰るのは親の叱責を被る危険性がありますので、みんなで泊まり込むのです。
高校3年の体育祭の打ち上げは鮮明に覚えています。
まずは中州のパブのカウンターに10人程で並んで座り、一番安いジンをキープして水割りで飲みました。
飲むといっても高校生ですから、皆チビチビと舐めるだけです。
少々酔っぱらった私は仲のよかった同級生に声をかけました。" 宮崎! 俺はこっちから行く、お前はそっちから来い。 "
二人でカウンターの両側から、同級生の飲みかけのジンを次々に取り上げては一気飲みをし、真ん中で宮崎と握手しました。
そんな調子でしたので、ピオネ荘に引き上げたときはベロベロだったと思います。
それでも、日本酒を冷酒で飲み続け、やがて酒が無くなってしまいました。
私は、今では博多で眼科を開業している大島竜太郎に酒を買いに行こうと提案しました。
二人で西新まで歩き、酒を購入して帰途に就いたのですが、歩いたせいか私が酩酊してしまいました。
人気の無い住宅街の路地で倒れてしまい、身動きがとれなくなってしまったのです。
運の悪いことにはタクシーが通りがかって、クラクションを鳴らすではありませんか。
ところが私には移動する力は残っていませんでした。
大島も一杯一杯で、私を抱えたり引きずったりする力は無かったと思います。
しかし、そこで大島は素晴らしい計画を思いついたのです。
大島は私の体に両手をかけて、丸太のようにコロンコロンと転がし始めたのです。
転がされながら酔っぱらった頭で、私は大島を尊敬してしまいました。
タクシーが通り過ぎた後、大島は一人でピオネ荘に帰り、仲間を引き連れて私を回収に来ました。
なんと、戸板が用意されていたのです。
当たり前ではありますが、戸板で運ばれたのは後にも先にも、その時だけです。
そのまま二階に運ばれて、雑魚寝の布団に寝かしつけられました。
朝方小便に行きたくなって私は目を覚ましました。
しかしトイレは1階です。まだ酔っぱらっている私には階段を下りていく自信がありませんでした。
そこで私は大島に倣って素晴らしい計画を思いつきます。
ピオネ荘は海の家ですから砂浜の上に建てられています。
ですから窓を開けて小便しても、砂地に吸い込まれて何の問題もないと考えたのです。
で、実行したのですが、バランバランと大きな音が発生しました。
砂地では無く、プラスチックが波打ったようなヒサシに小便が降り注いだのです。
その音で同級生が目を覚まし、 " 長谷川がションベンしよる! " と口々に騒ぎました。
この事件は、その後の私の飲んだくれ人生を暗示していたような気がします。
あの時、酒を買い足しに行かなければ、戸板を経験することも無く、もっとまともな人生を歩んでいたかも.....
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