はせがわクリニックは1995年の12月16日に開業しましたので、丸々20年が経過しました。
今日は、1995年がどんな年だったのかを調べてみました。
まずは、阪神・淡路大震災でしょうか。
5000人以上が亡くなるような災害は、戦後生まれの私にとっては初めて経験するものでした。
しかし、考えてみれば、戦時中の空襲では、毎回、これ以上の被害が出ていたようですので、
戦争こそが最悪の災害であると思います。
次はオウム教による地下鉄サリン事件です。
ポアするとか、上九一色村、第八サティアンなんてのが、毎日ニュースショーをにぎわせていました。
" ああ言えば上祐 " なんて言い回しもありましたよね。
青島幸男が東京都知事に、横山ノックが大阪府知事になった年でもありました。
近鉄の野茂が大リーグにチャレンジした年でした。
野茂は大成功を収め、オールスター戦に選ばれ、新人王を受賞しました。
アジアの歌姫と呼ばれたテレサ・テンが突然死しました。
電話を受けて救急隊が到着した時にテレサ・テンは、右手にメプチン・エアー、左手に受話器を持ったままこと切れていたそうです。
メプチン・エアーは気管支喘息の患者さんに処方される気管支拡張剤のスプレーですが、心臓に負担がかかるのです。
テレサ・テンは重症の喘息発作に対して、メプチン・エアーを大量に使用し、心臓発作を誘発させたと考えられます。
この当時は、片手にメプチン・エアー、もう片手に受話器を握りしめて死亡することが結構ポピュラーでした。
そこで、このような死に方を、私たちの業界は、" テレサ・テン シンドローム " と名付けました。
現在でも結構、通用するようです。
さて、話はそれますが、私はテレサ・テンよりも桂銀淑 ( ケイ・ウンスク ) の方が好きでした。
テレサのヒット曲である、" つぐない " と " 愛人 " も、桂銀淑がカバーしたものをUSBに保存しています。
桂銀淑のオリジナル曲としては、" すずめの涙 " が最も気に入っています。
話を1995年に戻して、若乃花と貴乃花が兄弟で優勝決定戦を戦った年でもありました。
若貴フィーバーに日本中が沸き返った時代で、連日の満員御礼が当たり前とされていました。
モンゴル人に制覇されてしまった現在は、日本大相撲の危機ではなく、終焉のようにも思えます。
数年前の八百長事件を機に、NHKはテレビ放映を中止するべきだったと思います。
あとは、現在でも解決されていない事件として、八王子スーパー強盗殺人事件が発生した年でした。
縛り上げた女子店員とパートの女子高生を射殺するという残酷な犯罪でした。
CMでは、" わたし脱いでもスゴいんです。 " が最も印象に残っています。
振り返れば、90年のバブル崩壊から全く立ち直れず、さらに、これからもずっと立ち直れないであろうことを
日本人が覚悟しているような悲しい時代でした。
追い打ちをかけるような阪神・淡路大震災もあって、結構悲惨な年であったことが見てとれます。
ただし、この頃は未だ、アル・カーイダや、ウサマ・ビン・ラーディンの名前がちらほらと出てくるくらいで、
ニューヨークの世界貿易センターも無事だし、イスラム国もありませんでした。
イラクでの湾岸戦争が終わって数年が経過し、それなりに世界が落ち着いている状況でした。
中国は89年の天安門事件で、世界中からの非難を受け続けていて、まだ日本に伍する力はありませんでした。
歴史に無頓着な私が振り返っても、現代は、かなりヤバい時代になってきたことが分かります。
最大の災害である戦争を避けるためにも、日本人はすべての叡智を結集して、国際関係や戦力のバランスを工夫していくべきだと思います。
ただただ、国内で、戦争反対と叫んでいるだけでは戦争を避けられないと思うのですが.......
今日は、1995年がどんな年だったのかを調べてみました。
まずは、阪神・淡路大震災でしょうか。
5000人以上が亡くなるような災害は、戦後生まれの私にとっては初めて経験するものでした。
しかし、考えてみれば、戦時中の空襲では、毎回、これ以上の被害が出ていたようですので、
戦争こそが最悪の災害であると思います。
次はオウム教による地下鉄サリン事件です。
ポアするとか、上九一色村、第八サティアンなんてのが、毎日ニュースショーをにぎわせていました。
" ああ言えば上祐 " なんて言い回しもありましたよね。
青島幸男が東京都知事に、横山ノックが大阪府知事になった年でもありました。
近鉄の野茂が大リーグにチャレンジした年でした。
野茂は大成功を収め、オールスター戦に選ばれ、新人王を受賞しました。
アジアの歌姫と呼ばれたテレサ・テンが突然死しました。
電話を受けて救急隊が到着した時にテレサ・テンは、右手にメプチン・エアー、左手に受話器を持ったままこと切れていたそうです。
メプチン・エアーは気管支喘息の患者さんに処方される気管支拡張剤のスプレーですが、心臓に負担がかかるのです。
テレサ・テンは重症の喘息発作に対して、メプチン・エアーを大量に使用し、心臓発作を誘発させたと考えられます。
この当時は、片手にメプチン・エアー、もう片手に受話器を握りしめて死亡することが結構ポピュラーでした。
そこで、このような死に方を、私たちの業界は、" テレサ・テン シンドローム " と名付けました。
現在でも結構、通用するようです。
さて、話はそれますが、私はテレサ・テンよりも桂銀淑 ( ケイ・ウンスク ) の方が好きでした。
テレサのヒット曲である、" つぐない " と " 愛人 " も、桂銀淑がカバーしたものをUSBに保存しています。
桂銀淑のオリジナル曲としては、" すずめの涙 " が最も気に入っています。
話を1995年に戻して、若乃花と貴乃花が兄弟で優勝決定戦を戦った年でもありました。
若貴フィーバーに日本中が沸き返った時代で、連日の満員御礼が当たり前とされていました。
モンゴル人に制覇されてしまった現在は、日本大相撲の危機ではなく、終焉のようにも思えます。
数年前の八百長事件を機に、NHKはテレビ放映を中止するべきだったと思います。
あとは、現在でも解決されていない事件として、八王子スーパー強盗殺人事件が発生した年でした。
縛り上げた女子店員とパートの女子高生を射殺するという残酷な犯罪でした。
CMでは、" わたし脱いでもスゴいんです。 " が最も印象に残っています。
振り返れば、90年のバブル崩壊から全く立ち直れず、さらに、これからもずっと立ち直れないであろうことを
日本人が覚悟しているような悲しい時代でした。
追い打ちをかけるような阪神・淡路大震災もあって、結構悲惨な年であったことが見てとれます。
ただし、この頃は未だ、アル・カーイダや、ウサマ・ビン・ラーディンの名前がちらほらと出てくるくらいで、
ニューヨークの世界貿易センターも無事だし、イスラム国もありませんでした。
イラクでの湾岸戦争が終わって数年が経過し、それなりに世界が落ち着いている状況でした。
中国は89年の天安門事件で、世界中からの非難を受け続けていて、まだ日本に伍する力はありませんでした。
歴史に無頓着な私が振り返っても、現代は、かなりヤバい時代になってきたことが分かります。
最大の災害である戦争を避けるためにも、日本人はすべての叡智を結集して、国際関係や戦力のバランスを工夫していくべきだと思います。
ただただ、国内で、戦争反対と叫んでいるだけでは戦争を避けられないと思うのですが.......
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