楢原元庸(ナラちゃん)と私は中学高校を通じての同級生でした。
互いに母子家庭ということもあり、将棋を通じて仲良くなりました。
また、互いに3つ下の妹がいるだけの二人兄妹という共通点もありました。実際、互いの妹は修猷館で同級生となります。
ナラちゃんの祖父は内科の開業医でした。
西新界隈では有名で、九州場所の開催中に、当時の横綱であった大鵬から往診の依頼を受けたことがありました。
祖父は、”相撲取りならば体力があるから来れるはずだ。往診など必要無い。”と断ったそうです。
私も診察を受けたことがありますが、気骨あふれる紳士でした。
ナラちゃんの祖母は中学生相手に英語の塾を開いていました。
明治生まれの女性で、英語塾を開くスキルをどのようにしてゲットしたのか、私は興味を持ちましたが、聞くチャンスは逸しました。
私はナラちゃん家に行く度に、”まだ、ボケもせずに、元気に生きているんだ。”と常に感動させられました。
正確ではありませんが、80代後半まで英語塾を続けたはずです。
ナラちゃんの母親は実家でピアノ教室を開いていました。
音大受験を目指す生徒さん達が多く、レベルの高い教室だったようです。
ピアノのレッスンは実家の敷地内に建てられた防音教室で行われていました。
この防音教室を利用して、ナラちゃんは高校生のときにドラムセットを買い込み、ヤマハドラム教室に通い始めました。
私も足繁く防音教室を訪ね、ナラちゃんにドラミングの手ほどきを受けました。
ナラちゃんは中学の模試で、福岡県全体の2番になった程の秀才でしたが、高校では目立たず、一浪して九大の工学部に入りました。
私達の一つ上の学年は東大入試が中止になるくらい、学生運動が盛んな時代でした。
学生運動がらみで、退学する者も珍しくはなかったのですが、ナラちゃんの場合は、JAZZ喫茶に入り浸って、進級できずに、結局中退してしまいました。
ナラちゃんも私もかなりの読書好きでしたが、ナラちゃんが読むジャンルに文学は一切ありませんでした。
将棋の参考書、物理化学関係の理論書、様々なハウツー物(カッパブックス)、インド哲学(バグアン・シュリ・ラジネーシ)、などでした。
とくにカッパブックスのジャンルは幅広く、米国で書かれた物の翻訳本が多かったせいか、キリスト教の影響が強く、成功哲学、ヨガ、などが印象的でした。
ナラちゃんは3つに分類される人間の精神の働きに序列をつけて、まず、”意”を第一に、”智”を第二に、そして
、”情”については重きを置かないというスタンスでした。私とは真逆です。
その後ナラちゃんは京都大学の物理学部を目指して京都で浪人生活を送りますが、結局かなわず、博多の実家に戻って学習塾を開き生計を立てました。
私も何回か博多に行き、ナラちゃんと飲みに出ました。
大して酒に強くないナラちゃんが、ビール一杯で顔を真っ赤にしながらも、人生論などを挑んできて、私もそれに応戦しました。
そんなナラちゃんを突然死が襲います。
知らせを聞いた私は取る物もとりあえず博多に急行しました。
脳卒中でした。
前の晩は何事もなく就寝したそうです。朝、起きてこないので家族が見に行ったところ、ベッドで冷たくなっていたそうです。
僕たちが50歳の秋でした。
今、もう死んでしまったナラちゃんからの手紙を私は読んでいます。
今、もう死んでしまったナラちゃんへの手紙を私は読んでいます。
不思議な感覚です。
とても不思議な感覚です。
私の意識の深い底が時間を止めてざわついています。
パンドラの箱を開けたのかも知れません。
互いに母子家庭ということもあり、将棋を通じて仲良くなりました。
また、互いに3つ下の妹がいるだけの二人兄妹という共通点もありました。実際、互いの妹は修猷館で同級生となります。
ナラちゃんの祖父は内科の開業医でした。
西新界隈では有名で、九州場所の開催中に、当時の横綱であった大鵬から往診の依頼を受けたことがありました。
祖父は、”相撲取りならば体力があるから来れるはずだ。往診など必要無い。”と断ったそうです。
私も診察を受けたことがありますが、気骨あふれる紳士でした。
ナラちゃんの祖母は中学生相手に英語の塾を開いていました。
明治生まれの女性で、英語塾を開くスキルをどのようにしてゲットしたのか、私は興味を持ちましたが、聞くチャンスは逸しました。
私はナラちゃん家に行く度に、”まだ、ボケもせずに、元気に生きているんだ。”と常に感動させられました。
正確ではありませんが、80代後半まで英語塾を続けたはずです。
ナラちゃんの母親は実家でピアノ教室を開いていました。
音大受験を目指す生徒さん達が多く、レベルの高い教室だったようです。
ピアノのレッスンは実家の敷地内に建てられた防音教室で行われていました。
この防音教室を利用して、ナラちゃんは高校生のときにドラムセットを買い込み、ヤマハドラム教室に通い始めました。
私も足繁く防音教室を訪ね、ナラちゃんにドラミングの手ほどきを受けました。
ナラちゃんは中学の模試で、福岡県全体の2番になった程の秀才でしたが、高校では目立たず、一浪して九大の工学部に入りました。
私達の一つ上の学年は東大入試が中止になるくらい、学生運動が盛んな時代でした。
学生運動がらみで、退学する者も珍しくはなかったのですが、ナラちゃんの場合は、JAZZ喫茶に入り浸って、進級できずに、結局中退してしまいました。
ナラちゃんも私もかなりの読書好きでしたが、ナラちゃんが読むジャンルに文学は一切ありませんでした。
将棋の参考書、物理化学関係の理論書、様々なハウツー物(カッパブックス)、インド哲学(バグアン・シュリ・ラジネーシ)、などでした。
とくにカッパブックスのジャンルは幅広く、米国で書かれた物の翻訳本が多かったせいか、キリスト教の影響が強く、成功哲学、ヨガ、などが印象的でした。
ナラちゃんは3つに分類される人間の精神の働きに序列をつけて、まず、”意”を第一に、”智”を第二に、そして
、”情”については重きを置かないというスタンスでした。私とは真逆です。
その後ナラちゃんは京都大学の物理学部を目指して京都で浪人生活を送りますが、結局かなわず、博多の実家に戻って学習塾を開き生計を立てました。
私も何回か博多に行き、ナラちゃんと飲みに出ました。
大して酒に強くないナラちゃんが、ビール一杯で顔を真っ赤にしながらも、人生論などを挑んできて、私もそれに応戦しました。
そんなナラちゃんを突然死が襲います。
知らせを聞いた私は取る物もとりあえず博多に急行しました。
脳卒中でした。
前の晩は何事もなく就寝したそうです。朝、起きてこないので家族が見に行ったところ、ベッドで冷たくなっていたそうです。
僕たちが50歳の秋でした。
今、もう死んでしまったナラちゃんからの手紙を私は読んでいます。
今、もう死んでしまったナラちゃんへの手紙を私は読んでいます。
不思議な感覚です。
とても不思議な感覚です。
私の意識の深い底が時間を止めてざわついています。
パンドラの箱を開けたのかも知れません。
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