川越蔵の町を通り抜けて、川越城址本丸御殿へ行きました。
現存する建物は1848年(嘉永元年)に建てられた本丸御殿の一部として
玄関・大広間・家老詰所などが残っています。
明治まで江戸の守りとして、親藩大名が藩主となり、明治維新後、城は解体、
堀は全て埋立てられ、城址の面影はなくなりました。
① 玄関
巨大な唐破風屋根に広い玄関に太い柱があり
17万石の大名御殿にふさわしく堂々としていました

② 庭園 ③ 庭園 ④ 廊下 クリックで拡大します



⑤ 家老詰所
本丸御殿に勤務していた藩の家老が詰めていた建物です。
江戸時代、藩主は参勤交代があり、実質的に家老が藩政を行っていたそうです。

⑥~⑦ 庭園
手入れされて清々しいお庭でした



【 喜多院 :通称 川越大師 】
星野山・無量寿寺・喜多院は、関東天台宗の本山 境内にある五百羅漢の石像も有名です。
小江戸観光の目玉の一つである喜多院は、川越大師と親しまれ初詣や名物だるま市には
境内を埋め尽くす程の人で賑わう観光スポットで、お正月を迎える準備中でした。
⑧ 喜多院参道

⑨ 慈恵堂(本堂)

⑩ 多宝堂 県指定有形文化財
老朽化が進んだため、明治43年(1910)に移築され、その後も移築が繰り返されて
昭和48年(1973)に現在地に移し解体修理をして復元されました。

⑪ 中庭

⑫ 中庭の池にかかる赤い橋が目立ちます

⑬ 五百羅漢
「五百羅漢」は いろいろな表情があっていつまで見ていても飽きなく
笑ったり、泣いたり、怒ったり、ヒソヒソ話をするものあり、面白かったです。

春日局化粧の間(書院)国指定重要文化財 は4室もあります。
川越大火により、山門を残し喜多院はほぼ全焼
徳川家光公は、すぐに喜多院の再建に着手しましたが、
客殿・書院などは、江戸城紅葉山の御殿を解体して喜多院に移築しました。
喜多院の書院に「春日局化粧の間」があるのはそのためです。
これらの部屋は、江戸城にあった頃 徳川家光公の乳母として知られる
春日局が使用していた部屋で、「春日局化粧の間」と呼ばれています。
駆け足の更新で、説明不足かと思います




ささやかなクリスマスを過ごしたいと思います。
