自宅で死ねて幸せだった
18時50分頃
肺水腫により三郎さんが
眠るようにして自宅で
永遠の眠りについた
92歳だった
長男から息がしない、と電話が入り
急いでキャンバスに乗り三郎さん宅に向かった
8分後には到着
三郎さんの手を握るとまだ温かった
本当に穏やかな表情だった
今日午後4時頃は
三番目の孫娘から好きな蒲萄を食べさせてもらい
恵比須顔の三郎さん
最期まで自宅で死にたい、と話され
長男夫婦に看取られた
ヘルパーにおむつを取り換えてもらい
訪問看護師はエンゼルケアを
日曜日で主治医に連絡がつくかどうか杞憂したが
早く連絡がとれ、死亡確認を行うことが出来た
大の病院嫌いで
前回はSpO2が70台まで下がり
先月は急遽搬送し入院した
その後回復し退院
酸素療法となり訪問看護 訪問入浴 訪問介護を入れ
看取りの支援体制をとってきた
食べたいものを食べ
傍らには妻が居て
つねに母屋から長男嫁、長男が訪れ
家族の絆(つながり)があった
病院のベッドではなく
長年生活してきた自宅で亡くなることができた三郎さん
本当に幸せ者だった
今の世の中
なかなか自宅で死ぬことは稀である
私も自分が望む処で死にたいものだ
三郎さん 哀悼の意を表し 安らかにお眠り下さい
18時50分頃
肺水腫により三郎さんが
眠るようにして自宅で
永遠の眠りについた
92歳だった
長男から息がしない、と電話が入り
急いでキャンバスに乗り三郎さん宅に向かった
8分後には到着
三郎さんの手を握るとまだ温かった
本当に穏やかな表情だった
今日午後4時頃は
三番目の孫娘から好きな蒲萄を食べさせてもらい
恵比須顔の三郎さん
最期まで自宅で死にたい、と話され
長男夫婦に看取られた
ヘルパーにおむつを取り換えてもらい
訪問看護師はエンゼルケアを
日曜日で主治医に連絡がつくかどうか杞憂したが
早く連絡がとれ、死亡確認を行うことが出来た
大の病院嫌いで
前回はSpO2が70台まで下がり
先月は急遽搬送し入院した
その後回復し退院
酸素療法となり訪問看護 訪問入浴 訪問介護を入れ
看取りの支援体制をとってきた
食べたいものを食べ
傍らには妻が居て
つねに母屋から長男嫁、長男が訪れ
家族の絆(つながり)があった
病院のベッドではなく
長年生活してきた自宅で亡くなることができた三郎さん
本当に幸せ者だった
今の世の中
なかなか自宅で死ぬことは稀である
私も自分が望む処で死にたいものだ
三郎さん 哀悼の意を表し 安らかにお眠り下さい