老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

怖れる

2022-02-02 13:02:10 | 阿呆者
1792  怖れる


                冬の阿武隈川(写真は本文とは関係ありません)

自分は「2つ」のことを怖れている

ひとつは、認知症になった自分である。
いまは、物忘れ、しまい忘れの症状がでているが、
物がなくなったこと、他者の「せい」にはしていない。

認知症になった老人をみると様々なタイプがあるが
素直な性格の老人は、認知症になっても素直で笑顔が多く、「ありがとう」の言葉がでる
性格のきつい老人は、認知症になっても意地悪で、他者に嫌われるような言葉を吐く、「ありがとう」の言葉が少ない。

生き方は老い方そして死に方にもつながる
惚け方も同じく生き方、老い方の結果として表れてくるのではないだろうか・・・
穏やかに惚けたい。

もうひとつの怖れは、永眠したときの顔(表情)である。
瞼を閉じ、いまにも眼が覚め起きだしてきそうな表情で穏やかに眠っている老人の顔をみると
自分もこんなふうに永い眠りにつけることができたら、と
眠った老人の顔を見るたびに思う。

眼も口も開いたような眠り顔では
線香をあげに訪れた人は苦笑するであろう。
そのときはそのときで仕方がないけれど
できれば穏やかな死に顔を願いたいものだ。



コメント (2)
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