老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

傷む、悼む

2022-02-25 18:01:05 | 阿呆者


1822 死んだ男の残したものは

谷川俊太郎が書いた詩

死んだ男が残したものは、
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

森山良子が歌った

ウクライナに戦争が起き
戦禍のなかでいつも惨劇に遇っている
罪もない市民がミサイルで殺された
同じ地球の片隅に住み
何もできない自分

ふと、谷川俊太郎さんの詩『死んだ男の残したもの』を思い出した
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「できる」「できない」を考える (3)

2022-02-25 05:12:52 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


昔開拓部落だった家をほうもんしたとき軒下の氷柱を発見。

1821 白と黒の中間

「できた」「できない」
「できない」よりは「できた」方がいい。

「できる」ことに拘り過ぎると
「できなくなった」ときの落差は大きい。

老人はチョットしたことで
それが引きがねとなり「寝込み」
歩けなくなり、生きることに諦めてしまいがちになる。

人間は「できる」「できない」の二つに結論づけようとする。

話は横道に逸れるが
昔の映画は白黒だった。
画面を見ると色は白色と黒色だけではない。
灰色があった。
灰色の存在により
光や影の風景が作られることで
立体感を醸し出していた。

カラー映画よりも
時には白黒映画の方が味があり
昔の風景を懐かしく思うことがある。

物事には白か、黒かの二色だけでなく
色の組み合わせにより
見方を変えることができる。

大正、昭和(戦前、戦後)生まれの男のなかには
令和の時代になっても
妻は夫に従うもの、という考えから抜けきれずにいる。

老いた夫が床に伏せたとき
老いた妻は子育てのように
かいがいしく世話(面倒、介護)をしてしまう。

本人が「できる」ことまで世話を焼き
いつのまにか「出来ていた(できる)ことが「できなく」なってしまう。
夫は自分でやれば「できる」のに
俺はもうだめだ、と思い込み甘え、老いた妻にもたれかかる。
威張っていた前の姿は何処にきえたのか。

ケアマネジャーや介護事業所の介護員(介護福祉士)は
要介護老人が「できていない」ことの実相を見極めていくことが必要になってくる。

介護従事者のなかでも手を出し過ぎて、要介護老人の自立を阻んでいることを「わかっていない」人がいる。
時間がかかる、待つことができないために、つい手を出してしまう。
それが「できなく」させていく。

また「できる」「できない」の見方だけに捉われると、そこで行き詰まってしまう。
ここの部分を手をかせば(ここのところを支援すれば)、「できなかった」ことが「できる」ようになる。
自分で「できる」能力をもっているのに「やってもらっている」ことを、自分で「やってもらう」

そうすれば「できる」ことが増え
介護者(老妻)の負担も減ってくる。

今日の話は抽象的でわかりにくいかもしれない。

次回、事例を通して今日の話を実体験により深めていきたい。



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