1818 報われない努力
羽生結弦選手の「報われない努力」もある、という言葉に衝撃を受けた。
よく人は努力をすれば報われる(結果がついてくる)
羽生選手の言葉は
前人未踏の4回転半アクセルがオリンピックの大舞台で成功するために
言葉に尽くせぬほど努力に努力を重ね、チャレンジした。
4回転半アクセルは公認されたけど
心のなかは跳び着地が成功することを目指していた。
自分は長く生きてきたが
死にものぐるいになって努力をしてきたことはなかった。
だからやり切った(達成感や成就感)という喜びがない、悲しい人間である。
だから、老いてからの後悔の念はことさら「きつい」
人生は一度限り、もうここまで老いては「やり直しがきかない」
死が刻々と近づいても何かやれることはあるのだろうか、と。
いまさら後悔しても始まらない
老いてから伊能忠敬のように足で歩き
日本地図を完成させた
凄いことだと思う。
しかし、いまの自分に「できる」ことはなにか、考えてみた
転倒骨折や脳卒中後遺症(脳血管障害後遺症)、認知症などの疾患により
いままで「できていた」ことが「できなくなった」、と諦め
家族も介護者も「優しさ」からつい手を出してしまいがちになる。
「できる」ことまで、「できなくさせて」しまう。
「できる」「できない」「手をかせばできる」の見分けを
要介護老人とそのご家族と一緒になって考え
少しでも「できる」喜びを感じていきたい。
「勉強ができる」「できない」
「できる」と「わかる」の違いは何か
「子どもができる(生まれる)」「子どもができない(生まれない)」
子どもが欲しいと切に願ってもできない
どうして、子どもを虐待し殺してしまうのか
老い齢を嵩ねるにつれ「できない」ことが増えてくる。
福祉用具や介護用品などを使うことで「できる」ようになる。
幼児や老人にとり
母親や介護者が口や手を出さず
「待つ」だけで「できる」のである。
そのことは、次回(1820)で述べていきたい。