老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

終電車

2022-02-19 08:03:43 | 阿呆者


1812. プラットホーム

高台のプラットホームに立つと
冷たい風がわたしの躰をすり抜けていく

金曜の夜 プラットホームに立ち
終電車に乗ったあなたを
手がちぎれるほど振り続け
「サヨウナラ」と呟いた

あれから時は流れ過ぎ
いま あなたは
どこで 何をしているのだろうか

終電車を見送ることもなくなった




鏡の中のもうひとりの「わたし」

2022-02-18 05:06:22 | 阿呆者

青空デイサービスの庭に 福寿草が咲いていた
春を呼ぶ花であり 幸せを運ぶ花


1811 自分も同じか・・・・

自分とそんなに年齢が違わない他人(ひと)を見て
「随分老けたな〜」、と胸の内で思うことがある

鏡を見ない限りは
自分はどんな顔をしているかわからないせいか
自分は老けた人に比べたら
自分はまだ「若い」、と独断的にそう思い込んでいる

しかし、鏡に映った自分の顔
しみじみ見たら
他人は「(自分のことを見て)随分ふけたな」、と
同じく思っているだろう

積み重ねられた齢には勝てない

老けたな、と思い込むと
余計に老け込むような気がするから
「まだ、ふけこんではいられない」
「自分はまだ若いのだ」、と暗示をかけ
何かに熱中していきたいものだ

気持ちも行動も外に向け
他人(ひと)と交わり話したり
自然に触れることだ

死に向かって生きている自分
人生、endになるまで
やりたいこと100 並べてみるか
小さなこと、くだらないようなことでも並べてみるか


俺、生きているか!

2022-02-17 14:21:15 | 老いの光影 第8章 認知症老人の世界


1810 俺、生きているか❕

狸森に棲んでいる美登里ばあ様は、今年の誕生日を過ぎると90歳になる。
毎日のように自分ことがわからなくなる。

農家の家は大きな屋敷が多く
美登里ばあ様の隠居部屋の壁には
祖父母と夫、息子嫁の遺影が飾られている。

遺影を眺めながら彼女は「あそこに俺の写真がある」、と話しかけてきた。
(美登里ばあ様は、自分のことを「俺」と話す)
「惚け」てきたとはいえ、予想もしなかった言葉に吃驚(ビックリ)。

故人を偲ぶため、通夜や葬儀の場に遺影は飾られ
葬儀が終わると、その家の仏間などに飾られている。
仏間に幾つかの遺影が飾られていることの意味がわからなくなったのか・・・・
「亡くなった人が遺影として飾っているものなんだよ」
「俺は、生きているのか?」、と尋ねてくる。
「生きているよ。いま89歳だよ」
「そうか、生きているのか」

「息子(60歳を過ぎ、同じ屋根の下で暮らす)は、まだ結婚していない」
「おかしいな、大きな男の孫が住んでいるでしょ」
「孫は、息子が外で産まれた子どもだよ」
「娘もいたでしょう。ときどき肉や野菜を買ってきてくれるでしょ」
「あれは、拾ってきた子どもだ」
などと、つじつまの合わない話が続く。

うつと認知症が重なり、それぞれの病気の境界がわからない。
感情の起伏が激しく、泣いたり、不機嫌だったり、同じ話を繰り返したりする。

農家に嫁ぎ 春になると雑草が延び始めると
鎌を手に根こそぎ草をむしり取る
隣の屋敷まで草をむしるのでよく「もめ事」になっていた。

腰は90度曲がり
空を見ることなく地べたをみながら歩く
モンペは腰まで上がらず
ときどき腰肌を出しながら歩く。

一度彼女に「仰向けに寝るときは、脚は天井を向くのかい」、と尋ねたら
笑いながら「寝るときは脚(足)はまっすぐに伸びるよ」。





藤沢周平 静かな木 新潮文庫

2022-02-16 21:25:09 | 文学からみた介護
1809 静かな木

古びれた寺の境内は、森閑と人の気配もなか薄暗い
大きな欅に夕映えが射しかけていた

五年前に妻を急病で喪った孫左衛門は、いま隠居の身であり老いを迎えた。
妻を失ってから、孫左衛門は殊更、老いを感じた。

目の前に立ちはだかる欅は老木であった。
幹は根本の近くで大人が三人も手をつなぐほどの大木であった。

大木の樹皮は無数の鱗(うろこ)のように
半ば剥がれて垂れ下がっていた
そして、太い枝の一本は、枯死している。

老いた欅は、自分の姿のようでもある、と彼は深く感じた。
老いた欅は、桜咲く春を迎え
桜散る頃には老木の欅は 青葉となり風が通り抜けていった。

※ 一部 藤沢周平 静かな木 から文章を引用しました




命を張るデイサービス介護員

2022-02-15 03:57:27 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


夜明け前の雪景色

1807 ひとり暮らしとコロナウイルス

ヘルパーと小規模デイサービス、介護用ベッドのサービスを使い
ひとりで暮らすばあ様(要介護5)がいる。

息子は遠く大都会で暮らしている。

今日は朝から37.0℃台の熱があり
デイサービスに来ても熱は下がる気配はなく
37.8℃まで上昇した。

コロナウイルス感染の危惧もあり
二つの病院に電話をかけても診てくれない

ばあ様は病院嫌いのため、かかりつけ医が定まらないから
今日のような熱発のときは、ほどほどに困る

県ホームページを調べ、コロナウイルス感染の検査を行う医療機関の一覧表から
近くのクリニックに電話をしコロナウイルス検査をお願いし、診てくれることになった

遠くの家族は来れず
近くの他人であるデイサービスの介護員に通院付き添いをお願いした
クリニックの看護師もビックリされていた。

抗原検査では陰性だったが
医師は心配だから、ということで、pcr検査も行った
結果は24時間後
陽性でないことを祈るが
付き添った介護員は命がけの付き添い

老い重ねるほど 健康状態が不安定な人ほど
かかりつけ医との太いつながりが欲しい

遠く離れても親子の絆は切れない
老い病み不自由な躰でいる母親
介護サービスだけでは見きれない

どうしたらいいのか悩みは尽きない


いろいろなところに出かけた

2022-02-14 04:48:15 | 阿呆者
1806 充実野菜のような日曜日





会津若松市を訪れると
お土産品店で必ずと言っていいほど目にする赤べこ
首がゆらゆらと揺れる愛らしい郷土玩具
赤べこは、幸運を運ぶ牛
黄とら、今年は寅年。wifeは寅年生まれなので
白河ダルマランドで買い求めた。



日曜の朝、冬日和
11時過ぎに家を出た

デイサービスの食材購入もあり
那須塩原市まで足を伸ばし、先に腹ごしらえ
ファミリーレストランCocosで昼食

その後、業務スーパーで食材を買った

那須塩原市から国道4号線を北上し
白河市でショッピング



snoopyが入った赤ダルマのホルダーがあり
仕事用の鞄に取り付けるのに最高、と思い財布に紐を緩めた

そこでwifeも自分と同じ色違いの鞄を購入

その後、「お茶しよう」ということで
新幹線が停車する新白河駅前付近の珈琲高山で
自分はウインナーコーヒーを頼み
至福の時を過ごした

「遅くなったけど、今年、wifeは寅年なので 寅のダルマをプレゼントするから」、と言うことで
白河ダルマランドに向かった

最初に紹介した、黄とらと黄ダルマを買い、食卓の脇に飾った

今日はいろいろな処を巡り歩き
充実野菜ジュースの如く、充実した日曜ようであった

林部智史 あいたい

2022-02-13 07:53:12 | 歌は世につれ・・・・
1805 あいたい





最近、ある方のブログから 林部智史の『ラピスラズリの涙』を知った。
その曲を聴いて、心に滲み、亡くなった方を思い出しながら、あいたい、と思った。

時間のある方は二曲聴いて頂き
急ぎの方は片方の曲だけでも耳を貸して頂けたら、と思います。

『ラピスラズリの涙』は、小椋桂 作詞作曲であることも知った。
歌の出だしは
あなたの心が いつか侵され
闇の病に 気付きもせぬまま

突然あなたが この世から消えて
わたしひたすら 泣きました

あなたを失い酷(むごい)孤独が 心を苛(さいな)む

あなたを失くして 空しい心は
何を支えに 生きると言うの

涙 尽き果てたら 生きて直してみよう



ラピスラズリとは、瑠璃色の天然石で、幸運をもたらすの意味が込められている。
大切なあなたを突然この世から消え
わたしはラピスラズリの涙は瞳を濡らし
いく筋の涙が滴り首筋を伝い濡れ流れ落ちています。

大切な人が いま、傍らにいない
そのときの喪失感は大きく
幾日も引きずり立ち上がれない

「涙 尽き果てたら 生き直してみよう」

ときには、ふとあなたのことを思い出す
あなたはもうこの世にはいないけれど
瞼を閉じればあなたにあえる

「あいたい」の曲は
瞼を閉じてみても
浮かぶあなたの影
と、切なく歌いながらも
最後の詩は、幸せ背負って 生きていきます
と、悲しみを乗り越える

いま、あいたい
誰もが胸に秘め抱え生きている

後、命が幾ばくもない、と告げられたとき
最後にあいたい人は、と尋ねられ
ふと思い出し あいたい

故郷を捨てた自分
故郷に棲むあなたにあいたい

数えきれないほど老人との死別(わかれ)に
ふと思い出すことがある

生きている、いま
ひとのやさしさに気づき
「生き直してみよう」、と思った

まだ見ぬラピスラズリの首飾りをしてみたい



叫 び

2022-02-12 05:45:43 | 自分は何者か
1804 叫 び



絵画小説といえば、原田マハさんを思い浮かぶ

エドヴァルド・ムンクの『叫び』の絵画を目の前で鑑賞したことはない
複写の『叫び』をみても、胸にぐっと迫るものがある

自分の姿のように思えてくる

病、死の不安、寂寥感、孤独に悩み
雑音を遮断し両手で耳を塞ぎ
大きな声で叫びたくなる

叫び声をあげ
自分は何者だろうか
何をしてきたのであろうか、と
叫んでみた
生きたという実感がないまま老人(おいびと)になった

自分のなかに潜んでいるムンクの『叫び』

目に見えない人間の内面や感情
人間はときには他人の心のなかを覗きたがるけど
大事なのは自分の心の襞をみつめることができるのか

叫びたくなるとき
自分には心の支えになるものはあるのだろうか
自分を癒してくれるもの励ましてくれるもの
まだ何もない悲しい人間である

いま居る自分の処から
海は遥か遠くにある
夕暮れ時 海の見える窓から叫んでみたい

声をだせ
最後に中島みゆきの『ファイト』






老い逝く

2022-02-11 05:16:10 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1803 逆らえない老い



朝からテレビは
「2月10日から11日にかけて大雪が降る」、と報じられていた。
鉛色の空から雪が降り続く。
どのくらい積もるのか気がかり
というのは、腰椎圧迫骨折後遺症のため
水分を含んだ雪ならば雪かけできない。
wifeが雪かきをする。
wifeは「自分が雪かきをするとは思わなかった」、と雪かきのたびにこぼす。


夕方になってもまだ雪が降っている。
夕暮れ時は、老いの刻であろうか。


老い始め
老い逝くまで
その老いの時間は
楽よりも苦の方が多く待ち受けているのか。

老いは喪失の時とも言われる。

仕事を失い
年金もそう多くはなく
病いも抱え
躰や手足も衰え
昨日出来ていたことが
今日は出来なくなったりする
明日も昨日のこともわからなくなる

老い逝くは自然の摂理
時には過去の記憶を偲び
いまは家なき故郷を想い
亡くなった老親の路を
いま老いた自分はその路を歩く
路の先は誰もが辿る
未知のあの世


失態

2022-02-10 16:17:48 | 阿呆者

写真は本文とは関係ありません

1802 失態

尿意を感じながらも
いまこれをやり終えてから
トイレに行こうと思って我慢をしていた。
(腎臓外科医からは尿は我慢してはだめだ、と言われていた)

尿意は我慢しきれなくなり
尿失禁しては大変と思い
慌ててトイレに駆け込み
便器の蓋を開け座ったら

お尻も腰も便器の中へ沈むと同時に
便器の硬い淵にあたり違和感を感じ
お尻も腰も持ち上げた姿勢のまま
振り返ったら
便器の蓋と一緒に便座の蓋も持ち上げていた

急いで便座をおろし ことなきを得た

男性老人は、デイサービスの介護員に小言を言われていた
「洋式便器のときは立ちションベンはダメ。必ず座っておしっこをしてください」

的が定まらず、便器の淵や床までおしっこが飛び散っている
なかには便座も上げずにしている人もいた。

昔の男(じいさま)は、立ちションベンで過ごしてきた。
いまの若い男性諸君は、便座に座っておしっこをしている。

男はズボン、パンツを下げおしっこをするのは面倒だ、と思ってしまう。
しかし、便座に座って用を足してみると
おしっこの飛び散りや飛び跳ねが脚や床になく気持ちがいい。

意識して便座に座って用を足さないと大変なことなるときがある
気を抜くと、便器と便座の隙間からおしっこが飛び散り
ズボンやパンツを濡らしてしまう失態もある。
失態を犯し、恥ずかしく思う。

そのときwifeは「家でよかったね」と小言を頂く。

【付け足し】
要介護認定調査の項目に「排尿」があり、1)介助されていない(自立) 2)見守り等 3)一部介助 4)全介助 と回答欄があります。
要介護老人が排尿、排便をした際、自分で用を足すことができても、便器や床を糞尿で汚し、毎日のように家族介護者が掃除をしていると、
「一部介助」になります。床などが汚れ家族介護者が掃除をしていることを認定調査員に話さないと、「介助されていない」、つまり自分で排せつができている、
と解釈されてしまいます。特に、排せつは手間がかかる介護(介助)です。排せつ以外でも手間がかかっていいることを具体的に調査員に話すことが大切です。
本人を前にして、調査員に話しにくいときは、メモに書いて調査員に手渡しするとよいでしょう。




銀の紬

2022-02-10 07:36:00 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


1801 銀の紬

昔は、くず繭(まゆ)を紡いだ糸で織った絹織物を「紬」と呼び
江戸時代までは庶民の普段着であった。

くず繭であっても、出来上がり上品で素晴らしい着物になった。
紬は、太さがバラバラで均一でない紬糸を複雑に絡めて織っていくことで丈夫な着物が出来上がる。

デイサービスに集う老人たちも紬と同様に
生活歴や躰の状態や性格は、それぞれに違い個性派の集まりである。
90歳を越えた老人は、人生の達人であり、マイペースであり、くよくよしない。。

「紬」は、繭を紡ぐことから、「紡ぐ」という言葉を考えてみた。
言葉を紡ぐ 思いを紡ぐ 幸せを紡ぐ 命を紡ぐ 人生を紡ぐ などなど
どの「紡ぐ」を見ても 大切なことであり、それは眼に見えないものである

介護相談や介護、教育も保育も同じ
老人や子どもの思いや言葉に傾け、どう紡いでいるのだろうか。

言葉(思い)や命の「紡ぐ」が欠落すると
安易に人の命を弄ぶ輩(やから)が増え嘆かわしい社会になった昨今。

「紡ぐ」という言葉から、ふと立ち止まってしまった。

痛いほど生命を感じる

2022-02-09 05:00:45 | 空蝉

今年の冬は降雪、積雪が多い

1800 痛いほど生命を感じる

人はオギャーと産声をあげた瞬間から
死に向かって生きる。

日々時間に流され
自分にも死がやって来ることを忘れている。

人は、老い、病み、死に直面したとき
生命や時間の大切さを痛いほど感じる。

老いた今
時間の流れは緩やかではあり
夜明けの刻は知らぬ間に忍び寄り訪れる。

陽に照らされた老体は
影まで曲がって映る。

頭髪は薄くなっても
頭のなかは薄くならないようにしたいものだ
腰が曲がっても心まで捻れてはならない
大した用事はなく急ぐこともない
犬に連れられ散歩をしている老いびと

老いた躰ではあるけれど
春風のように小さな幸せに出会える、と


平凡こそが幸せ

2022-02-08 08:39:40 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


那須高原 遠くからでもペニーレインのパンを買い求めに訪れる。

1799 平凡こそが幸せ

92歳の海原光代婆さんが自分の家具調ベッドで永い眠りに着いて、ひと月が経った。
(合掌)
いつも家を訪れると
庭が見える南向きの居間で
陽射しを浴びながら
横になりウトウトされていた。

昔、女がてらにもっこを担いだ(土砂を担いだ)
腰も脚も疲れ過ぎ、脚を伸ばし寝るのが何よりだった。
いまは、何もやる事もなく、毎日ただ、こうして寝ている。

「この先短い、何かやりたいことはないのかい」、と野暮なことを尋ねる自分がいた。
その言葉はこだまの如く自分に返ってくる。
何が楽しみで生きているのだろうか、と思ってみたりもした。

日々、何もせず、息子がいれてくれたお茶を飲み
傍らに老いた三毛猫も負けじと寝そべっていた。
こうして平凡な日々を過ごしながら、ジッと死を待つ。
老い行きても、人間生きている限り、悩みは尽きない。

死は、もう夢を見ることもなく、眠りから眼を覚ますこともない
両膝や腰の痛みも悩みも泡のように消えていく
もうそこにはあなたは存在しない

安らかに眠りにつかれた光代さんの顔を拝んだ
最後まで這いながらトイレに行かれた頑張りに
「お疲れ様、ありがとう」と呟いた。

お互いポックリ死にたい

2022-02-07 15:51:00 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」



犬を形どった壁 那須高原

1798 お互いポックリ死にたいものだ

85歳の脳梗塞後遺症の爺様
軽くすみ、歩行器で室内外を歩いている

妻は83歳、物忘れが始まった、というけれど
「何を忘れたか 数分後に思い出す。まだ呆けてはいない」、と笑いながら話す婆様

病気する前は酒飲んべで、その上煙草も吸ってた
脳梗塞になってからは 酒煙草はやめた

昔は見合い結婚ならまだしも
親の知り合いの口利きで
いまの爺様と一緒になった

爺様と結婚して「当たり」「外れ」、どっちか、と尋ねると
婆様は躊躇することなく「外れた~」と答える
傍に居た爺様は「俺は当たりだった」

婆様は こんな山奥
狸か猪しか棲まないところに
嫁ぎたくなかった
親が決めた結婚だから
反対もできない、親の考えに従うしかなった

携帯電話のアンテナが立たず 黒電話しか通じない
陽があたらない山里に棲む

爺様 婆様 今年で結婚60年を迎えた
「おめでとう」、と祝福する

婆様 煮魚の骨を1本1本 箸でとり除き
骨抜きの魚を爺様にあげている
「魚だけでなく爺様も骨抜きだ」、と婆様は笑う

お互いポックリ死にたいものだ
婆様は爺様に話しかける