常念が見える部屋から

ここから北アルプス常念岳が眺望できます。
季節の移ろいに写真を添えて発信します。

信州・松本そば祭り

2010年09月09日 | 季節の便り


今年も信州松本そば祭りが開催される。

会場の松本城公園に県内外から味自慢のそば処が出店し、終日にぎわいを見せる。

10月9日~11日の3日間で延べ13万人の人出を見込む松本のビッグイベントである。

先年定年退職した元役員Sさんが、そば祭りの協力団体に名を連ねる「信州そばアカデミー」代表と一緒に来訪された。

「信州そばアカデミー」は、信州蕎麦を探求する同好会である。
しかし同好会の域を越え、プロのそば打ちでも一目置くといわれる技を磨き続ける団体である。

そば祭りでアカデミーの出店ブースは常に人気スポットで毎年長蛇の列が伸びる。

昨日の来訪主旨は、そば祭りの会場近くで、そばを打つ場所を探しているという、ついては当社の会議室を使わせて欲しいという事であった。

会場の松本城公園から、数分という距離が名人のお眼鏡に叶ったのだろう。要望に応えることにした。
当日は8基の蕎麦打ち台をセットして、会員が交代でひたすら打ち続けるという。
会場から最も近い、打ち処から供給される今年の蕎麦は例年に増して好評を博するだろう。


信州・松本そば祭り開催目的(同ホームページより転載)

7回を迎える「信州・松本そば祭り」では、イベント全体の食のテーマを「信州のスローフード」とし、長野県産の食材を限りなく採用することで信州の魅力を全国にPR。さらに長野県のそば処とそば愛好家を結集させ、信州そばとその文化を県内外に広く紹介すると共に、「そばの文化」を通じて全国各地のそば処との地域間交流を深め、その文化交流を推進する事を目的とします。

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台風接近

2010年09月08日 | 季節の便り
サギ草

若狭湾から上陸した台風が長野県に近づいている。
昨夜来の降雨で大気がしっとりとして、生物がことごとくイキイキしている。
しかし強風は困る、収穫期をまじかに控えた果物は風にあおられて簡単に落下する。
台風が運ぶ雨は歓迎するが風は避けたい、農家の心境は複雑である。
12:45分少し雨が強くなったように思う、生気を取り戻した街路樹のこずえを吹く風も徐々に力をつけてきた。
もうすぐ台風圏内に入る。
                
   季節が移ろう哀歓に似て 朝焼け雲の色彩を追うとき
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雨乞い

2010年09月07日 | 常念100景
9月7日

台風の余波で降雨の期待が高まった。
しばらくの間 雨らしい雨は降っていない、街路の桂並木は、くすんだ色に黄葉して、気の早い落葉が始まった。
いつも青く見える常念の佇まいが、今朝は緑色がはっきりと表れて、天気の変わり目を予兆している。
夜になると、乾ききった大地を潤す期待の雨が降るだろう。
夜明け東の山の端に、髪の毛ほどの二十八夜の月が浮かんで、目を凝らせば、その周囲を満月の輪郭が淡く取り巻いていた。
か細い月はやがて薄紅色に染まった雲の間に溶け込むように消えていった。
明日から新しい月の始まりである。
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北国から帰って

2010年09月06日 | 常念100景
酷残暑 この暑さに松本の秋明菊は戸惑っている。
稲田は一気に黄金色に変わり、まるで麦秋である




この日、出立地千歳の気温は25度、さわやかな風が吹き抜けて、台風が運んだ湿気を吹き払い、北の大地は秋に向かって速度を上げるだろう。
機体整備のため1時間ほど遅れて千歳を離陸した飛行機は、1時間20分の飛行を終えて松本空港に着いた。
その時刻、気温は36度まで上がって、機外に出るとめまいがするほどだった。
駐車場に停めておいた車内は、前夜の登別温泉サウナ風呂をしのぐほどに熱気が満ちていた。

振り返ると、豊かさと荒々しさ、ひっそりと生きる人達の哀調、それら等の全てを包み込んでしまう雄大な自然に、少しだけ触れることができたように思う。

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北の街の朝焼け

2010年09月05日 | 旅先の風景
北の街の夜明け(9月4日 4:20)


北の街の夜明けは早い。
昨夜は適量の飲酒と、楽しい会話と、軽い興奮が適度な疲れを呼んで熟睡した。
早朝 窓に映る東の空の色の変化に気付いた飛び起きた、心に描いていた北の国の朝焼けのはじまりである。
外に飛び出して遮るもののない空を探すことは不可能だ。
ひたすらビルの谷間に刻々と変化する朝焼けを追った。
まさしく北の大地の黎明である。



空の色の変化が収まったので豊平川に向かって急いだ。
朝焼けは既に普通の朝焼けに変っていたけれど、水面に映る夜明けの景色が美しかった。
この日は小樽に飛んで、アイヌ民俗博物館、洞爺湖畔サイロ展望台、昭和新山、登別と回りバスの距離計は370kmを指したという。
夕刻 噴火湾の対岸に駒が岳を望んで登別温泉に向かった。
山峡の温泉なので夕焼けは観察できなかった。

コメント (1)
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夕焼け探しに

2010年09月03日 | 季節の便り
小さな夕焼け


北の国は、台風から変わった熱帯低気圧が暴れるだろうとニュースが伝える。
展望台に立って嵐の地平線を望むのも悪くないが、野火のように逆巻いたりオーロラのように広がる夕焼けに遭遇するのも楽しみだ。
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怪談 二

2010年09月02日 | 来し方
源平かづら


 

H社からS社に乗り換えた放射線機器事業は、大きな進展を見ないまま、突然破局を迎えた。

S社から特約店契約締結不可という最後通告があり、S社放射線機器の扱い店に値せずという烙印を突き付けられた。

その理由は知らされなかったが、今回それをうかがわせる 同人物の書簡が見つかった。

『聞くところによりますと、S社と絶交となったとのこと、驚きもし、又ガッカリも致しました。

貴社にS社が器械を売らせない理由は、私の、しでかした不祥事が主要因であるとのこと、私も非常に責任を感じ、出来る限りの手を尽くしましたが進展に至りませんでした。

もし貴社に覆水を盆に返すお気持ちがおありでしたら、H社との和解に力の限り働いて見ます。

○○日、是非お会いして御相談申し上げたく存じます、ご指示賜りたく幾重にもお願い申し上げます」

会社の上層がこの申し出に乗ったか、乗らなかったか分からない、様々な変転があったが、現在S製作所も、H製作所も日本を代表する医療機器メーカーである、幸い弊社は両社と友好的な取引を継続できている。

 

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怪談

2010年09月01日 | 来し方



 



90年史編纂資料を手繰っている中に興味深い書簡を見つけた。

昭和35年頃から会社は、H製作所の放射線機器特約店となり、私は技術サービス担当者として新規据付や、取扱い説明、保守修理に飛び回っていた。

H製作所の東京三鷹寮に泊まって、技術革新が進む放射線機器の技術研修に何度も参加し、少しずつ実力が付いてきたように思っていた。

ところが昭和47年突然会社の方針として、放射線機器の取り扱いをH製作所からS製作所に変更するという発表があって現場は大混乱した事を覚えている。

その事について会社から詳しい説明は何もなかった。

その書簡は自筆で「過日も参上してご意向を伺った件ですが、H製作所の特約店を破棄して、S製作所の代理店を引き受けるお考えは如何ですか?」と始まった。

「もし、そのようなお考えがあるなら、悦んでS製作所との交渉の労を取らせていただきます」と続く

更に「恐らく条件としては、HよりSの方が良いと思います、HとSでは契約内容がまるで違いますので」

そして「私の6年をかけた営業活動で、Sの有力な引き合いが数多く育っています。いよいよ本年度から契約や納入が始まります、しかし 残念ながら私は資金難から、矢尽き刀折れてしまいました、もし貴社がS製作所の特約店をお受けいただけるのであれば、私の今日まで培った商権の全てを無償でお譲りいたします」

まさか こんな筋書きで大事が運んだとは思いたくない、しかし3年を待たずして手痛いしっぺ返しを受けることになる。

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