爺々のひとりごと

毎日目にする何気ない風景そして風物詩気ままに書き綴っていきたいな

欽ちゃん球団 茨城ゴールデンゴールズ解散

2006年07月20日 | 野球

欽ちゃんの記者会見 夢列車は どこにもたどりつけなかった ゴメンね

球団の函館遠征 チームメイトによる暴行事件が発端のようだ

茨城ゴールデンゴールズは 2004.12旧桜川村に本拠地を置き発足
球場あるいは選手の雇用の場とか市民の絶大な支援があると言う

プロ野球もやっとファンサービスの大事さに気づきスタンドの改造及び試合前の選手とのふれ合いを大切にとパフォーマンスを実施している。

欽ちゃんは 一早くサービスにつとめ試合中マイクを握りスタンドと一体となる試合をしてる


本年度つくば市で15試合予定されておりすでに四試合実施されたが楽しく観戦できたとの感想が多い
自身まだ足を運んでないが是非観戦したいと思ってる。

本年度WBC世界一 野球熱が上がると期待したが先日サッカーのW杯を見てるとあの興奮は どこへやら
野球のシラケさが感じられる
夏の高校野球の県予選が各地で始まったが相変わらず不祥事の続出
野球熱は 下がるのみ

王監督 長島前監督も病気と戦ってる最中

欽ちゃんの連帯責任は 理解できますが選手のため また応援する市民のためまた野球ファンのため

是非活動を再開してもらいたいと思う

野球大好き爺々のお願いでした




還暦野球夏の陣

2006年07月17日 | 野球

人は たかが還暦野球と言うけれど

楽しいんです 負けると悔しいんです 疲れるんです


我が県のチーム数は 18チーム
還暦野球の盛んな県は 大分 岐阜 茨城と言われる。我が県から全国優勝チームを輩出してるほどレベルの高い県である。

健康 親睦が目的だが いざ試合となると闘争本能丸出し擦り傷が絶えない


15日 本年度静岡県島田市で開催される 
ねんりんピック の出場決定戦が開催予定だったが中止(県春季大会の成績で決定) 来年度茨城で開催
急遽 阿見 水郷チームと親善試合
この異常な暑さ 勝ち負けより 体力が心配だった
グランドに立ってるだ゜けで頭がぼ~とする
この過酷な条件の中なんとヒー坊大活躍 今まで記憶にない四連続安打
昔打撃の神様 川上哲治選手が ボールが止まって見える と言ってたことがあるがまさしくその心境
分からないでしょうなこの心境

ただこの猛暑の中 二試合24の瞳 12人で戦うとは あまりにも過酷
部員募集が急務かな

つくば九重シニア野球クラブ  に絶大なるご声援を

            
                



東京ドーム

2006年05月29日 | 野球

学生時代の友人に誘われ野球観戦

昨年開通したつくばエクスプレスに初めて乗車
切符の購入方法が理解できず まずは隣の方の操作を確認してボードを押した。
車窓からの風景も一変した 駅周辺の宅地開発想像以上だ これからの変貌はこの眼で確認したい

秋葉原まで45分 ITの街をぶらついた地上は別世界 人 人 人 電気店 電気店まるで浦島太郎の気分
名物おでんの自販機は探し出せなかった。

水戸黄門の番組毎日楽しみ
水戸徳川家江戸上屋敷 小石川後楽園を訪ねた
江戸時代にタイムスリップ黄門様の気分で庭園散歩 落ち着いた純日本風の趣 深緑が私を迎えた

      
       ゆったりと散歩

      
       園内からドームがみえます。なんと屋根の上で
       人が三人作業中恐いでしょうね 他のかたまりは不明

ドームには早めに到着 ゲート前広場で原監督のトークショー早くも人の山 陣取りには遅かったがTVで顔なじみ清武巨人軍球団代表 往年の選手で現在球団広報藤本 香坂 渡辺さんの姿もあった

       
          原監督登場 さわやか若大将

       
       試合開始直前 大敗の幕開けになるとは

席は年間予約シートであった。
スタンドからの観戦は全体が見渡せ 少々騒がしいが両軍の熱狂的な応援が冷静沈着な私の頭脳を
興奮のルツボへと誘う

試合中お互いに情報交換行き着くところ健康の話だ
日本の高度経済成長を支えたハタラキバチそろそろガタが来る年代
健康管理が大事な時期だ
作日でジャイアンツ四連敗近頃寝付かれずストレスがたまる

明日から爽やか札幌シリーズ選手諸君すすきのはほどほどに

俺の健康も考えてせめて勝ち越して帰って来てくれ


野球観戦

2006年05月12日 | 野球

学生時代の友人より5月26日 巨人 ロッテの野球行きませんかの電話
喜んで返事

大昔仲間たちと花火見物して筑波登山の思い出 先日仲間と40年ぶりに筑波へ
筑波は暖かく迎えてくれたが歳には勝てず でも心地よい疲労が残った

     
     本館時計台 時は刻むが昔のまんま芝生でおしゃべり
     したっけ  2005.6撮影

楽しい仲間よく雀荘に出かけたものだ
野球といえば土曜日は授業をさぼり神宮球場へ往年の強さは無かったが在学中一回の優勝経験
池袋の街を練り歩いたよき思い出がある

野球は大好き 現在還暦野球クラブに入会毎週日曜には練習で汗を流す
熱狂的な巨人ファン 二時半の練習風景からTVに見入る。勝てばあらゆるスポーツニュースを見入り勝利の余韻に浸る。

久々に応援グッズを孫から取り上げ準備完了


     
      どうですジャビット人形

今年はジャイアンツ絶好調美味しい酒を飲みながら余裕のTV観戦 優勝マジックもあと110勝カウントダウンには一寸ほど遠いが美酒に酔いたいものだ

昨年は
倅のプレゼントで東京ドームへ 年1回ぐらいの観戦となったが楽しみだ


還暦野球

2006年04月24日 | 野球

県南春季大会がつくば市で開催され六チームつくば 阿見 牛久 守谷 稲敷 水郷参加
4/1 8 15 22途中春雷の襲来もあったが無事終了

このブロックから全国制覇チームを輩出する たかが還暦野球と言えどレベルの高い大会だ。

一日二試合が多く途中ベンチは野戦病院化する 健康目的とはいえ闘争本能発揮足腰に痛みが走る
金本選手フルイニング連続904試合出場にははるか及ばぬが目下8試合フルイニング出場

歳とともに打球にたいする反応が鈍くなる。それが悔しい
10番を背負ってる仕事  ミスを癒すドンマイ 切り替え切り替え次のプレイ ガンバロウの言葉が頭が真っ白出てこない

自身ゴルフ 野球をするがチームプレイの野球が好きだ

好プレイには全員で喜ぶ喜びは倍増 ミスには全員で慰める悲しみは半減
こんな野球が大好きだ


五月には県大会が開催される。

機会があればドンマイ 切り替え切り替え ガンバロウの言葉は忘れないつもりだ
(春季大会結果 2勝3敗 第四位)


還暦野球

2006年04月03日 | 野球

県南春季大会が4月1.8.15日つくば市で開催

我がチームがホスト役グランドの確保 整備にと大忙し

参加チーム つくば 阿見 牛久 守谷 稲敷 水郷の六チーム
全国制覇チームが所属しこの地区を制するチームは茨城を制すると言われるくらいレベルの高い地区だ

体もでかい お尻も大きい高校野球 後楽園球場での都市対抗野球経験者もいるという
我がチームはせいぜい中学経験どまり平均年齢63歳だ  

         
         開会式 優勝旗返還 

         
                 選手宣誓 

選手宣誓は地元チームからということで私が行うこととなった

宣誓 先ほどの優勝旗返還の際スタンドから爺々との掛け声心がなごみました
WBC世界一 昨日はプロ野球開幕そして甲子園ではベストエイト野球まっさかり 我々還暦野球のモットーは健康そして親睦この3日間和やかにプレイすることを誓います

と宣誓 スタンドはガラガラ 地元ケーブルテレビの中継はなかったが立派な宣誓?

一回戦 守谷8対6打撃戦の末今年の初勝利を飾った
二回戦 阿見7対10で破れる 天敵だ
健康親睦が目的とはいえ勝った喜びは大きい(でも足腰に痛みが)
チームプレイ楽しさ難しさがここにある

ま この歳で野球が出来る喜び これが一番か


キャンブイン

2006年01月30日 | 野球
1月29日 我が還暦野球クラブの練習開始日

先週大雪のため今週が初日となった 初練習日が大雪 今年はチームに真っ白な白星が舞い込む予感

まずは年末急逝された前監督に黙祷 野球大好き親父というより野球小僧を偲んだ
監督の檄 健康第一それから勝負との挨拶だった
主将ヒー坊 健康で大声を出すのみと一言

まずはマウンド付近を酒で清める このチームは酒がつきもの
日陰には残雪 グランドはドロドロ 周遊道路を使ってのジョギング ストレッチ 軽いキャッチボールのメニューで終わった
2月1日プロ野球は温暖地でキャンプインするが 我々は篤志家のご好意で専用グランドを持っている
これが何よりだ

今年から軟式野球は高反発ボールに変更 2-3点の僅差の試合 延長戦が圧倒的に多いので変更したらしい

握った感じは準硬式のボールの感じ
これが吉と出るか凶と出るか神のみぞ知る

いずれにしてもヒー坊スローカーブで真っ向勝負だ



名誉のトロフィー

2006年01月16日 | 野球

我が還暦野球クラブの総会が開催された

年末急逝された監督に対し哀悼の意を表した


63歳の若さであった
春の県南大会にはプレイングマネージャーとしてしかも激務なキャッチャーを守った 最高の野球大好き人間だった 偶然に6月わたしとバッテリーを組んだのが最後の試合だった
秋の大会は監督に専念

後任の監督選出 私にと話題に上がったが帝王学をまなんて゛からと辞退秋の県大会監督代行がそのまま監督に選出された

私は監督補佐 主将に選ばれた 

今までは自分のプレイに専念することがチームに役立つものと思い試合にのぞんだがこれからはベンチを含めた全体に目配りする余裕が必要だ
還暦野球の目的は 健康 友好が大前提
でも試合になると闘争本能むき出し擦り傷が絶えない

       
       名誉のトロフィー受賞

会長より特別賞が贈呈 最優秀選手 勿論前監督 首位打者賞 22番 なんと驚異の0.431当分破られない記録 
敢闘賞 なんとおいらが受賞 理由は打率 打点 盗塁 犠打が平均点以上四死球がダントツ

ピッチャーが俺の顔に驚いたか県大会の三連続デッドボールが高印象 でもやはりお祭りで休んだ以外は練習 試合とも皆勤賞これが認められたのかな

私の仕事は 試合で大声を上げ元気をだすこと これに専念


爽やかチームをつくりあげたい