飛行機大好き人間これまで百里基地 成田空港 茨城空港と数限りなく見ている
大砲のような望遠レンズを備えたカメラを手に耳には管制塔とパイロットとの交信を傍受するイヤホンをした方たちと遭遇する。
今回久しぶりに航空自衛隊百里基地の航空ショーに出かけた。
茨城空港が自衛隊共用のため当日のフライト スカイマーク社と折り合いがつかず新聞紙上をにぎわせたが当日定刻通りの離発着九月運休十月より運航再開するいったなんかわけのわからない決着のようだ
そんなの関係ない航空ファンで大渋滞 真夏の暑さにも負けず飛行機が並ぶエプロンへ急いだ。
F4 ファントム F15 イーグル見慣れた機体が並ぶ
なんといっても人気は ブルーインパルス今年で結成五十周年だそうだ。
松島基地より飛来
準備完了離陸寸前
息のあったアクロバット飛行に驚かされる。
青空に白線をひきながら
素晴らしい編隊飛行
とにかく早い あっという間に頭上を通過 撮影がほんとに難しい
これが精一杯
大観衆も一点に集中
75000人の観衆だったようですが茨城空港の離発着がスムーズになるよう係員の方たちの必死の誘導だったそうです。
ぎらぎら真夏の太陽に熱せられた滑走路でしたが隊員のすがすがしい飛行披露 訓練披露に清涼を感じました。
写真はこちら
アランドロンの映画のことではない
暑い 暑い 猛暑日の連続 熱中症て゛倒れる人 多数
決まってこの時期夏を感じさせる花がある。
カサブランカ ユリの女王 スペイン語で白い家を意味するようだ。
見事な大輪
カサブランカ 私にとってバーグマンだ 七十年ほど前の映画らしいが
新鮮に映る。
ボガードもカッコいい
今夜会って下さいます? そんな先のことわからない
こんなきざなセリフ一度でいいから言ってみたい。
芙蓉
ハイビスカスに似たまさしく夏の花
ほおずき
先日浅草のほおずき市紹介しましたがやっと色づき始めました。
大昔女の子たちが口の周りを赤くしながらほおずきを膨らませてたのを覚えてます。
そんな遊びを知ってるのは 私だけかも
仏壇に似合いの飾りつけになるほおずき
カサブランカ 芙蓉 ほおずき
まさに夏を象徴する植物だ
沃野一望数百里 関八州の重鎮(しずめ)とて そそり立ちたり筑波山
なんと古めかしい詩
1897年創立我が母校の校歌だ 今年も三回戦グランドで響くことは なかった。
夏の甲子園出場を目指し県予選が始まった
半世紀以上前慶大卒業後阪神に入団した安藤選手以来出場は ない。
今年は 一二回戦突破土浦市営球場で三回戦
地元でもあり真夏日ながら応援に出かけた。
カラフルな応援団
半世紀前は 全学年で女性徒十名ほどでしたが最近は 半数が女性徒だという
さすがにチアリーダーは いなかったが学生服の応援団が懸命に声を張り上げていた。
ブラスバンドも軽妙に演奏し盛り上げる。
熱戦開始
高校野球の醍醐味は 小さな白球を必死で追いかける
ひたむきさがある。
動きの一つ一つが爽やかさを感じる。
半世紀前応援席で必死で声を張り上げた光景がセピア色になってしまったが脳裏に浮かぶ
後輩達よ
爺に青春を思い出させてくれてありがとう
ぎらぎらと太陽が照り返るが
霞ヶ浦から吹きかかる風は なんとも心地よさを感じる。
村の鎮守の神様の今日は めでたいお祭り日
17 18日我が地区八坂神社の祭礼だ(祇園祭り)
境内で大昔チャンバラや野球をした思い出がある。
石碑によれば
山城の国(京都)の八坂神社から分かれ 本殿の棟札には 延宝三年(1675)の年号が記されている。
宝暦六年(1756)にかけ村内に疫病が流行し氏子一同行水し八坂神社に疫病退散の祈願をしたところ多くの病人の中一人の死者もなく病気もおさまったという伝えがあるそうだ。
八坂神社
本日神様お仮屋に移動中神社は ひっそりしてました。
幟もはためいてます
正面が左が神社
山車のお通り 暑い 暑い
子供たちのお囃子に合わせて山車を引っ張ります。
八坂神社のお祭りのころ例年梅雨明け
暑い真夏日が続く そお言えばセミの鳴き声も聞こえるようになった。
今日も暑い一日になりそうだ。
金魚が数匹それでも楽しい我が家けなげに泳いでいる。
その殺風景な棲家に四月睡蓮を植え込んだがやっと花を咲かせてくれた。
睡蓮鉢を使わなかったので四本のうち二本の花を咲かせてくれた
来年に期待しよう。
睡蓮が格好の隠れ場になり金魚も気持ちよさそうにスイスイ
環境が変わったせいか な なんと黒い斑点の金魚が三匹泳いでいる
産卵 孵化したのかな
やはり部屋の模様替えもしないといけないのかな
そう言えば我が家は 昔のまんま
襖 障子 カーテンの張り替えでもしようかな
つくばエクスプレスが開通以来浅草が近くなった。
自宅より一時間だ 初詣 落語などで訪れるようになった。
今回ほおずき市と東京スカイツリー見物のため出かけることに
三郷付近より車窓から梅雨空に浮かんで見えた。
浅草のシンボル雷門
仲見世通りは いつもの賑わい なぜか中国語が飛び交っていた。
七月九 十日は 四万六千日この日にお参りすると四万六千日分の御利益が得られるという。善男善女であふれる。
この縁日に恒例のほおずき市が開かれる 威勢の良い掛け声が響く
ほおずき如何ですかの掛け声が
色鮮やかなほおずき さわやかな風鈴が江戸の活気を伝える。
境内からもスカイツリーくっきりと見える。
電車で業平橋へ
ホームから見上げるがまさに摩天楼現在の高さ400mだそうだ完成時634mになる。
カメラマンが数名広角レンズでないと撮影が難しい
業平橋付近より見上げます
帰り道は 隅田川付近を歩いて帰りましたが撮影ポイントを探してる人たちと遭遇
隅田川の逆さツリー
もう一度浅草寺へ
参詣客ももっと増えたようににぎわってました。TV局の腕章をした報道関係者も見える。
このご縁日にお参り
何かいいことがありそうな予感が
蕎麦の豊作? いえいえただ健康であればそれでいいさ
写真はこちら
草取り後蕎麦打ちをしようと集まったのだが本日蒸暑く鳩首会談
即トラクターで耕してもらうことに決定
一人黙々と
さすが大型機械一網打尽
約500㎡の面積ミニ耕運機ですと草がからみ二時間ちかくかかりますが三十分で終了。
その間一方では 石臼で蕎麦の粉ひき
これが石臼
石臼で粉を挽けば 熱がかからないので最高の美味になるという
でも一kgの粉をするのに一時間以上かかりますので結構大変
水回し のし そして最後の仕上げ手なれたものです。
美味しそう
ざる蕎麦でいたたきました。
決して最高の蕎麦打ちとは 言えないが同級生同士飛び交う会話が最高の美味なのかも知れない。
会話の中で次回は ワカサギ釣りに挑戦することに決定
霞ヶ浦に注ぐ河口で行うようだ
七月二十日が解禁その日に決定
自宅付近を流れる小川で魚釣りをした遠い思い出があるがそれ以来の釣りとなる。
どうやらその小川の川下にあたるようだ
次から次へといろんな遊びが思い浮かぶおじさんたちだ
草だらけの畑の中でけなげに背を伸ばしてるものがある。
全く手間のかからないやつ
これ こんにゃく
熱帯植物のようでグロテスク
これで三年目くらいかも知れない。
暮れには 仲間と手作りこんにゃくといきたいもの
刺身こんにゃくは 酒に最高 関東地方では 群馬県下仁田が本場 我が県では 北部の大子地区の特産品
隣では 生姜の芽が大きくなりました。
生姜
これまた酒にもってこい
ほとんど手入れもせずとは 言いたいが時々は 草取りが大変なのです。
酒のつまみばかりですって
いえいえ 友人から頂いたミニトマトの苗
そろそろ食べごろかも
育て方が難しく雨に弱い
簡易のビニールハウスの中で育てますので
これは 妻の担当 私は 食べるだけ
ミニトマト 品名アイコ
結構美味 もぎたてをがぶりこれ最高
この歳になって初体験ばっかし
まだまだうぶな私だ
我がつくばを紹介したいと思う。
1963東京に集中している教育 研究機関を筑波山麓に移転する閣議決定
道 橋が造られ建物が建ち農村風景が一変
1980ほぼ移転完了
1985科学万博が開催
2005つくばエクスプレスが開通東京秋葉原を45分で結ぶ
五町一村の合併が完了人口が約214,000人
松見公園
開発当時この辺りが一番の中心街
お客様をよく案内した公園です。
展望台(45m)の奥が筑波大学 右が当時と歌舞伎町と呼ばれた飲屋街 良く出かけたものです。
つくばエキスポセンター
大昔小学校からキノコ採りに来たほどの松林でした。
科学万博開催時に開館 当時左のプラネタリウムは 東洋一と言われました。
右手に実物大のH-Ⅱロケットが展示されてます。
近所がつくばエクスプレスの駅 大型ショッピングモールつくばの情報発信源地なのかも知れない
田舎と都会の中間に位置し新旧入り混じった街である。
大昔と変わり映えしない我が家から一ー二分歩けば川向こうには ロケットを管制する筑波宇宙センターが見える。
ほんとに妙な光景だ