恥ずかしながら代々続く我が家のお盆を紹介します。
毎年群生するほうづき何故か今年は この一株だけ 仏壇へも飾れませんでした
子供の頃女の子 口の周りを真っ赤にして風船のように膨らませて遊んでた記憶がありますが最近見かけません。
13日夕方一家を率いて墓地へ 提灯を下げてお迎えにいきます。
全員集合
行きかうご近所さんとの挨拶は 静かな盆でおめでとうございます。
墓地からの帰り道 御先祖さんを背負う格好で家まで帰ります 重い 重い と言いながら(我が家だけかも)
全員で食卓を囲みます。メインは あんころ餅
孫たちの楽しみは 土浦の花火大会を思わせる花火だ
最近の花火は 年々豪華になってる
大会のトリは
長男の役目として14 15で親類新盆宅への訪問
挨拶は 静かな盆で×××
昔は 仏壇の前でお酒を振る舞われエンドレスのお話となりましたが最近は ノンアルコールそして代替わりした若主人と話もかみ合わずそこそこに次のお宅へ
14日の朝 墓地へお供え物 夜灯篭を飾りに(以前は 手作りでしたが最近は 子供用提灯で代用)15日送り盆
盆が終われば 小父さんたちの夏休みは 一足早く終了
末には 蕎麦のたねまきと いよいよ活動開始 その頃に一雨欲しいな
村の鎮守の神様 八坂神社の祭礼が開催された。
地区年一度のメインイベント 大昔境内で野球をしたりチャンバラをした思い出があるが平成九年度は 祭礼委員長として今回氏子総代としての参加となったが
今年は お囃子で孫娘(五年生)が笛担当でのデビューとなり思い出多い祭りとなった。
本殿の扉をあけると御神体が
お仮屋まで神輿渡御
神社入口には 幟がはためきます。
正面杜が神社
内孫外孫オールスターズ
全員で山車を引っ張りました。
おねいちゃん夜には お客さんの前で発表 初デビュー
手作りの舞台ですが・・・
よくできました
爺も挑戦しましたが 音が出ませんでした。
来年は 六年生もっとうまくふけるかな
そしていずれ後輩の指導してもらいたいな 笛は 難しいのです
とにもかくにも地域住民参加型の祭り
昨年氏子総代に任じられた途端東日本大震災で鳥居が崩落
寄付を募り鳥居再建 来年は 伊勢神宮式年遷宮と思い出多い任期となることでしょう
昨日の朝刊
式年遷宮に向け新しい正殿の屋根に萱をふき終えたことを奉告し 飾りの金物を取り付ける
甍祭 が行われた とあった
祭りが終わればギラギラとした太陽が
本格的な夏到来だ
春は お水取りからまた春は センバツからというのをきいたことがある
我が地区では 春は 大師様から
新四国桜川八十八カ所霊場巡りが三月三十日から四月八日まで行われる。
白装束で背中に南無大師遍照金剛 同行二人の文字が
いつも弘法大師とご一緒という意味があるようです。
大昔おばあちゃんが参加し大師様が錫杖で訪れるのをお迎えした記憶が
地区々のご詠歌を鐘の音で合わせて唱えるを聞くと子供心にもなぜかしゃんとした気持ちになったことが思い出されます。
お接待でいただいたおにぎりなど食べると病気にならないなんて言われたものです。
今年も三十人くらいの巡礼者のようでした。
大師様ご一行
例年三十一日が我が地区を訪れる日になってます
高齢者が増え車での乗り合わせが増えたようですが
我が地区に春を告げる風物詩だ
世代替りして昔を伝える人が少なくなってきましたがお茶を飲みながらの懇談これが世代を超えて語り継がれる機会になるのかも
大師様が終わってあれほど寒かった天気不思議と暖かくなってきたようだ
我が家の河津桜満開
バーチャル日本一周歩こうかいに参加してますが偶然にも只今徳島通過中
この機会に阿波踊りに浮かれず札所に立ち寄ってみたくなった。
節分恒例の蕎麦打ち仲間が集まった
蕎麦打ち始めて八年目結構上手くなったつもり
水回しが肝心湿度によって水の量が変わります。
そうそうその手つき
正方形が理想
まづまづの出来具合
約二時間半の蕎麦打ち
最近はスムーズにできるようになりました。
蕎麦打ちが終われば
家の主要な場所に
豆がら ヒイラギ いわしの頭を束ねたセットを飾ります。
鬼は 豆で追い払われ ひいらぎのいがいがで痛がり いわしの匂いが嫌うと言います。
三点セットを飾り付けます
節分と言えば
子供のころ親から言われたことは 地区で一番早く一番大きな声で豆をまく
最近ご近所さんから声が聞こえなくなりました。
今年は 八坂神社の氏子総代夕方より神社へ
我が家は 妻が総司令官
孫たちのお目当てお年玉
孫たち大きな声で鬼を追い払ったようで 今年も我が家は 幸せな年になりそうです。
私の朝食
ご飯に卵焼き納豆それに味噌汁 機嫌がいいときには 焼き魚もついてます。 典型的な日本人
我が家の味噌は 手作りだ 大昔は なんと醤油までも手作りだった記憶が
この時期いつもの味噌作りが始まる JAの施設を利用して三ー四人組でご近所さんの仲間たちとの共同作業なのだが都合悪い方があり急遽私が応援出動
その味噌作りをご紹介しよう。
一日目
先ず米を蒸します
蒸しあがった米に麹菌を混ぜ一昼夜熱します
二日目
蒸した大豆をミキサーに
砕いた大豆は そのまま保管 米に麹菌混ぜ合わせたものを切り替えしまた一昼夜熱します。
三日目
加熱した麹菌をブレンドした米に大豆と塩を加えます
約十分ほど混ぜ合わせます
樽に詰め込み約七か月仕込ます
大まかに三日間の作業をまとめてみました。
一日約三時間の作業 中には 買った方がいいと言う人がいるが
旦那を忘れ家事を忘れ気の合った仲間との楽しい会話の中での作業 これが一番なのかも
夏には 親戚一同 蕎麦仲間ににお配りし喜ばれます。
味は 手前味噌ですが最高
どうですか一度手作り味噌賞味してみませんか?美味ですよ
今回なんてったって俺の手が入ってるからだ でもリポートに徹し過ぎたきらいも
御利益があると聞いて詣でた神社仏閣十数か所
最近元日に地元の八坂神社に初詣 二日地区の初参会 三日過ぎに出かけることにしているが今年は 風邪気味こたつで箱根駅伝全区間見てしまった。
親の代から続いてる成田ですがつくばエクスプレスが開通以来浅草と交互に出かけてるようだ
成田での楽しみは うな重と飛行機 浅草では 天重
こんなことで御利益あるのかな
今年は 成田
自宅より車で一時間元日ですと二時間 平日しかも五日車も少なくすいすい
大本堂
毎年初詣客数明治神宮に次いで全国二番目の記録をつくる。
平日でしかも五日目少ないように感じました。
たまたま貫首様のお通りに出会いました
ラッキー両手を合わせました
全国のブログ仲間の皆様にも御利益のおすそ分けします。
御護摩祈祷
直接拝見することは 出来ませんでしたがカメラを精一杯手を伸ばしシャッターを押しましたが意外と鮮明に撮れてました。
TVで見る光景でした。
正面の拝殿には 一番前に陣取ることが出来今年も 何かいいことがありそうです。
家内安全 健康をお祈りしました。
さあこれで目的完了
噂の名店を訪ねるのみ
噂のウナギ名店
今年も列をなしてましたが20分待ち
勿論並びました。
いつものうな重 美味しくいただき
孫たちへのお土産購入のみ 人ごみの中名物羊羹 落花生を求めました。
さあ次の目的成田国際空港は 近々大公開予定
と~ん と~ん 天井に乾いた音が響く
我が家ばりでは ない ご近所さんからも聞こえる
父が杵を振り上げ母が臼の中の餅をこねる 息の合った姿 大昔に見た光景だ
今では まったく見られないが師走の風物詩器械ですが餅つきを行なった。
私の仕事は ボイラーマン 感が勝負定年は ありません
伝来のカマド釜にセイロ
簡単なようですが火加減が難しい? いえいえただ燃やすのみ
吹き上がりますと 器械に移します。
数分でこんな感じ
お供え餅 手で丸めます
一斗のもち米
お供え餅とのし餅にしました。
我が家未来の女将さんも挑戦
三世代の女将さんが勢ぞろい
我が家の伝統受け継いでくれるかな
神飾りは完了 掃除も終わった 残すは 大晦日の年越し蕎麦打ちのみだが
今年から村の鎮守の神様八坂神社の氏子総代に任じられしかも会計担当
神社の大掃除 初詣の買い出しと未体験の仕事がありますので恐らく年内の更新は これが最後かもしれません
ブログ仲間の皆様一年間ありがとうございました
輝ける新年が迎えられますよう心よりお祈りいたします。
旧暦八月二十四日は 火防の神様 愛宕神社の祭礼
最近は 直近の土日に行われてる 私の知ってる各地区の愛宕神社は 小高い丘に祀られている
良い例は 東京の愛宕神社 石段を馬で登った曲垣平九郎は 余りにも有名
我が地区のランドマーク的な存在
大昔は 稲刈りも終わり農家の唯一の娯楽的な意味合いもあったのかも知れない
最近は 氏子の数も減る一方存続が危ぶまれる
幟もたてられました
幟には 天保四年(1833年)の文字が書き込まれてました
その年には 桂小五郎が生まれ 天保の大飢饉が発生したとあった。
石段を登ると
拝殿
飾り物は 稲わらでの手作り
私は 口だけの作業となってますが飾られる正面の酒樽 しめ飾り 右の蓑 作れるるのは ただ一人
長老だけが頼り 早く後継者を育成しないと
お宿は 各家庭もち周り2013年我が家が当番 親から引き継いで三十年近くなりますので
そろそろ倅にバトンタッチしたいと思ってます。
稲刈りの終わった田んぼの向こうには
JAXA筑波宇宙センター
二百年近く続くお祭りと最先端の科学技術が混在するつくば面白い光景
昨夜NHKでJAXAで管制する国際宇宙ステーションからの生中継がありました もちろんつくばからも中継
地球の夜景 東北地方も明るく輝き復興が進んでるようです。 日の出 月の入り 雷 オーロラ サハラ砂漠と宇宙飛行士古川さんが見る400km上空からの光景を共有することができました。
素晴らしい光景でした
お祭りに引退の二文字が浮かんできますが我が家がお宿になる二年間でなんとか作業に加われるよう頑張ってみたいのですが持って生まれた不器用さ どうなることやら
九月十二日は 旧暦八月十五日十五夜
満月に向かって孫たち うさぎさんが餅つきしてる と叫ぶ
おばあちゃんの代からススキを飾った記憶が 今は 妻が受け継いでいるが最近そのススキが見つからない
春の七草は 食べる七草 秋の七草は 見る七草と言われるが探すのが難しいようだ
今年は 全国で六年ぶりに名月が見られるという
先日面白い記事をみつけましたので紹介したいと思う。
十五夜の風習は中国からきたもので日本でも昔から親しまれ松尾芭蕉 小林一茶の句にも名月を詠んだものがある。
しかし十五夜の時期には 日本列島に秋雨前線が停滞する割合が高いため晴天率が低くなかなか名月が見られない。そこで翌月の旧暦の九月十三日を十三夜として日本独自の風習が広がった。
そのころ 十三夜に曇りなし と言われるほど安定した晴天が続き満月には少し欠けるものの十五夜とはまた違う味わいと風情がある(常陽リビングより)
我が家からの名月
すすきだけの七草ですが飾り付けました(有名になったナデシコも七草のようです)
芋名月といわれサツマイモもあります
こんな伝統を受け継いでるのは 我が家だけかな
でも子供たちにも受け継いで欲しいな
日本の文化って素晴らしいと思うが
村の鎮守の神様 八坂神社祇園祭が開催された。
今年度八坂神社氏子総代に任じられた途端震災により鳥居が崩落し再建作業が待ち受け先日落成したばかりだ
親から引き継いだ総代の正装を用意した。
夏羽織 呂の着物だ
十数年前地区会長を務めた時祭礼委員長となり何も分からずてんてこ舞いして以来の着用になる。
伝統の正装
提灯をぶら下げ練り歩きます
ピーヒャラ々笛太鼓 祇園囃子今は 子供たちの演奏でお神輿をリードする。
大昔境内でチャンバラをしたり野球をしたりした思い出の神社
今回初めて本殿の神輿を拝見する機会に恵まれました
扉を開けますと鎮座するお神輿
本殿前に飾り付けますが作法が分からず写真とにらめっこ
昔の総代さんは 長年つとめてましたが最近は 三ー四年で交代若返りましたので作法が分かりません
夜には 神官による祝詞奏上の後5-600m離れた地区公民館お仮屋まで神輿の巡行
二日目の朝子供たちによる山車が地区内を練り歩く
夜には 大演芸会おおとりは ピンゴゲーム
例年祇園祭りが終われば夏到来なのだが
今年は すでに梅雨明け夏日が続く 暑い 暑い