元ラーメン屋店主のツイート集

ラーメン屋を10年経営し、今は閉店し、介護士をしています。

甲子園で佐賀北優勝おめでとうセール

2007年08月23日 | れいんぼ~情報
「真実は小説より奇なり」とは、よく言ったものです。

第89回全国高校野球選手権大会で、佐賀北高等学校
が見事に全国制覇。優勝しました。

当店も、一応佐賀の試合だから・・って感じで店内で
ラジオの甲子園中継を流していました。

甲子園中継がはじまってすぐに友人H君が来店し
「一人でテレビ中継見るよりもいいから」と、
一緒にラジオ中継に耳を傾けていました。
広陵高校から先制点を2点取られた頃まで

「強豪校だから一筋縄ではいかんよ。まだまだ
巻き返しは充分にある」

とか言いながら、余裕でしたが7回の表で2点
取られ、

「はー・・・。もう終わった・・。帰ってから
負け試合でも見よう。でも、準優勝でもよく
やったよ。今年の甲子園は楽しかった・・。」

と、H君は少し寂しそうに肩を落として家に
帰って行った。

8回の表、広陵高校の攻撃が始まった頃、
当店の取引業者が納品に来て、

「佐賀にしては今までよう頑張った。
ここまで残っただけでも快挙だよ。凄い。
今8回か・・。じゃ、試合終了までここ
でラジオ聞かせてもらおう・・」

と、カウンター席にに座り、タバコを吸い
ながらラジオに耳を傾けていました。

その業者の人に出すインスタントコーヒーを
作っていた8回の裏で大きなドラマが生まれ
ました。満塁で押し出し1点が入り、

「おおおお!いりゃ分からんぞ。満塁だし
ここでホームランが入ればな。逆転だけど」

とか話していると、副島選手が見事な逆転
ホームラン・・。唖然とし、一瞬の沈黙後

「わーーーー。やった、やった、すごい」

と、僕と業者は2人で大はしゃぎしました。

歓喜の気分で感動していた時、ちょうど、
お客様が来店され、平常心に戻れず

「お客さん。佐賀北がやりましたよ。
逆転で今勝ってますよ」
「え?嘘?10分前ぐらい負けてたのに」

で、たった今、満塁ホームランが出た事を
話し、一時盛り上がりも落ち着きました。

そして、そのまま9回の表で試合終了。

再び、僕、業者、お客さんで
佐賀北の優勝に大喜びしました。

僕は野球のルールすらあんまり知らないし、
スポーツ観戦の趣味も無く、スポーツ
で感動なんて、ほとんど味わった事が無い
のに、興奮と感動が入り混じった充実感に
満ちた気分になりました。

佐賀北高校の甲子園での試合はドラマチック
な展開が多く、非常に面白かった。

確かに、各マスコミで佐賀北応援の
雰囲気は、再試合の宇治山田商以降
の帝京高校戦ぐらいから来て
いました。

「がばい旋風」と言われていますが、どうも
スポーツ誌の「がばい」の使い方が間違ってい
る気がします。「がばい試合」「がばい勝利」
とか何でしょう。「がばい」は「とても」って
意味で、関西の「ごっつ」と同意語なので、
「がばいよか試合」「がばい嬉か勝利」とか
が正しいです。でも、映画の「がばいばあちゃん」
のように間違った言い方のまま広まっているので
仕方が無いです。「がばい強烈なばあちゃん」が
正しいのかな?最近は「がばい」ブームで佐賀の
商品ですら「がばい酒」「がばい米」とか名前が
ついているので、本来の「とても」じゃなく
「凄い」って意味になっているのかもしれない。

でも、色んな民法のローカルラジオで、どう喜び
が表現されているか聞きたくて、ラジオ梯子して
いたら、RKBラジオで佐賀県民の喜びを打ち砕く
ような議論をしていました。

パーソナリティと野球解説者が
「アンパイアがああゆう判定をしたら白けるよ」
「広陵のストライクをことごとくボール判定して」
「誰が見てもストライクだから広陵の野村も呆れ
かえった表情してたよ」
「アンパイアに助けられ佐賀北は勝ったから
素直には喜べない」
「野球で負けて、試合で勝った」

隣県の福岡のローカルラジオが何でこんな事言っ
てる。僕はまだテレビで見ていないし、素人なの
で見ても真否は分からないけど、佐賀が優勝した
んだから素直に喜んで欲しい。僕は放送局に
クレームの電話なんてした事ないけど、クレーム
の電話をする人の気持ちが分かった。(電話は
しなかったけど、一言言いたかった)

でも、僕は素直に優勝を喜んでいるので、当店では
明日、明後日と、一部商品優勝おめでとう
セールをします。

        通常価格   値引き
■チャーシュー皿400円→ 300円

■煮玉子    100円→  50円

■ビール    450円→ 400円

期間8月23日、24日

父と僕の人生行路

2007年08月23日 | 店主の人生哲学
今回は、ちょっと僕の心の深い部分を明かす話を
します。それは、長年思っていた感情から、僕の
中で変化が生じてきたから、古い感情を捨て去る
意味でも書いてみたくなりました。

今、僕は父と2人暮らしをしている。

正直言って、本心から父を尊敬出来るようになった
のは、僕が商売を始めるようになってからかもしれ
ません。

父はもうすぐ70歳という年齢なのに、未だに四六
時中何かに怒っている。反抗期の少年がそのままの
感情を持ったまま年老いたような人です。酒が大好
きで、酒に飲まれた感もあり、今まで数え切れない
トラブルがあるが、それらは我が家の恥を晒す事に
なるので割愛させていただきます。

僕と父は性格も、考え方も一致点が一切無いとしか
思えない程、全く違うタイプです。そんな者同士が
一つ屋根の下に暮らせば、衝突は日常茶飯です。

でも、僕は16歳ぐらいから、衝突を控えた。

感情の起伏が激しく、口調も強く、大声で怒鳴り
散らし、凶暴な父親と対等にやり合う自信が僕に
はない。そもそも、僕が自分の考えや、理論的な
反論をして聞く相手ではない。悪く言うと自分
本位で我がままな面が多々ある。

だから、いくら理不尽であろうが、言いがかりで
あろうが、僕は何も反論せず「グッ」と我慢して
堪えることにしている。それが、我が家で平和に
暮らしていく手段です。

時々、父が何に怒っているのか、何で怒られている
のか分からない事もあるが、いちいち反論しない。
父は些細な事でも一瞬で「カー」っときて、怒鳴り
散らすタイプだが、耐久性は低い。僕が、何も
言わずにじっとしていたら5分ぐらいで鎮圧し
ます。

父は普段でも怒っているように見えるので、本気
で怒った時は、そりゃ強烈です。相手が目上だろ
うが、お客様だろうが、取引相手だろうが、ガラの
悪い兄さんだろうが、暴走族の集団だろうが、誰か
れ構わず喧嘩します。すべての者を敵に回そうが
我を通します。

だから、他人の意見や、自分以外の考えを認めよ
うとせず、何が何でも自分の尺度でばかり物事を
考えます。

また、今は亡き僕の母親は、そういう頑固一徹な
父親にとことん尽くし、父親の威厳を保ち続けて
きました。だから、僕が母親に父親の悪口とか
を言うと、すぐさま平手打ちが飛んできて

「あんたは誰のお陰で生活できてると思ってるの?
 お父さんを悪く言うようなら出て行きなさい」

と、言われ続けてきました。

そうやって、僕は自分の感情を抑えながら生きて
きた面が多く、いまだに父親に遠慮しているような
面もある。

だから、10代、20代前半までは、友達の家の、
気さくで、やさしく、社交的な、友達親子みたい
な関係に憧れていた。でも、隣の芝生を羨んだ
所で、現実は変わらない。

僕は父親を反面教師として、我が身を直してき
た面は多分にある。

でも、自分が母親に成り、母の気持ちが分かる
のと同じく、僕は商売人になり父の凄さを知った。

父は20代前半で商売を始め、つい最近まで
海産物を売っていました。

そんなに、多く儲けた訳でも、事業を拡大した訳
でもなく、細々とした素朴な生活ながらも、僕と
姉を人並みに育ててくれ、人生の分岐点でお金が
必要な時には、僕や、姉の力になってくれました。

父の人生は何を楽しみに生きているのか分からない
ほど、何十年も毎日毎日働き詰めでした。そんな
父を開放してくれるのが酒と歌だったのかもしれ
ません。

父は社交性なんて一切無く、常にしかめっ面で、
お世辞や、おべんちゃらのようなご機嫌とりなん
て絶対出来ない人です。本当に不器用な世渡り
下手な人間ですが、真っ正直な人です。
誰の前であろうと態度を変えず、常に自分を
貫く姿勢は、大人としては駄目かもしれませ
んが、男としてはカッコイイです。父のモラル、
倫理観、人生観は僕と全く違いますが、父は
自分が信じた生き方をブレる事無く、貫いて
います。

今では少数派になったであろう、気難しい
頑固一徹な父親である事を誇りにすら思える
ようになりました。

でも、僕は父のような生き方は出来ないし、
父のように成るつもりもなく、父のように
生きる必要もありません。父が生き様で示し
た「自分」という強い信念を抱きながら、
僕はもっと柔軟な「自分らしさ」を貫きたい
です。