花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

ぱっぱ???

2007年11月06日 | レモン色の町
和30年頃の朝はにぎやかだ。
うじみそ~ きんざんじみそ~ からぁ~しずけ ふくしんずけぇ~」
垂坂から自転車の後ろに箱を載せてやってくる。箱からはそれぞれ、麹味噌・金山時味噌・辛子漬け・福神漬けが引き出される。
お袋が皿を持って出向く。おいらもその後について出る。
市場へ買い物に行くときもそうだが、よくお袋の尻について歩いた。
買い物の楽しさから、生活の豊かさを直に感じることが出来たのだろう。
じぃ~み はまぐりよ~ぇ」は磯津方面からか。ハマグリは枡で量られた。剥き身になったシジミの山を見て、中身を出すのは大変だったろうと感心した。
ハマグリは枡に山盛り。蜆の剥き身は、枡に入れた後、棒でさっと平らにした。
転車の後ろの箱を、ガチャガチャいわせて走るのは牛乳屋さん。
家族が多かったから、一人一本はぜいたく品だった。我が家はもっぱら粉ミルク。コーヒーの粉末を混ぜたりして飲んだ。
牛乳瓶の蓋を開けるには、かぶせてあるビニールの上から親指で押すか、牛乳屋さんにもらった針を刺してあけるか、どちらかだった。
学校の頃、その牛乳瓶の蓋で「パッパ」という遊びがはやった。
10分間の休憩になると、それぞれが持ち寄った蓋を机の真ん中に積み上げる。
順に口で「ぱっ」と吹いて裏と表を重ねたものがゲットできるというのがルール。あぶちん(めんこ)の代用品のようなものだった。不衛生極まりない。
一気にブームとなり、牛乳屋の息子が、新品の蓋を調達してくる有様だった。
あのブームは何ヶ月続いたのだろうか。やがて次の遊びがはやりだした。
画「三丁目の夕日」の続編が始まった。初日の夜に観にいこうと、おかぁんと話していたが、外は寒いし、飯を食ったら両名、その気が萎えてしまった。
歳はとりたくない。